見出し画像

【読書】野崎幸助『紀州のドン・ファン 美女4000人に30億円を貢いだ男』【基礎教養部】


書くことがない

とんでもない本があった!

……と、わざわざnoteで取り上げているからには言いたいところだが、本書は単に自分が普段絶対に読まない類の書籍というだけで、実際にはよくある感じの本──ビジネスチャンスを見つけて裸一貫から成り上がる痛快自伝本──であると思われる。コンドームの訪問販売やら金を稼いでやることが美女とのあれやこれややら、中身の方は類を見ないほどに尖っているが、しかし、自分はこういう具体性をありのままに楽しめないタチである。お金を稼ぐことにも美女とあれこれすることにもぶっちゃけあんまり興味を持てないし(少なくともドンファンのようにそれを「日常化」することに対しては?マークがつく)、つくづく本書の対象読者から外れているという他ない。

で、何が言いたいかというと、正直言って、書くことが全くないのである。いや、note記事を書いているのだから何かしら書くことがあって書いているのだろうと思われるかもしれないが、しかし無いのである。実はこれは義務タスクの一環で1600文字以上は書かなければいけないのだが、そうは言っても無いものは無いのだ。私の過去のnoteを見てもらえればわかるように、多少は「書いた」経験があるのだが、今回は、書くことが、ない。思いつかない。このような状況は初めてかもしれない。

初めて。初めてか。ならばその体験について深掘ってみるのも悪くはないだろう。「書くことが無い」ということを題材として書くのである。まぁその結果として出力された文章を読者諸氏が読み、明日からの行動に活かすことができるかというとそれは万が一にも無いだろうが、そういう無益なものに価値があるのだと考える(私と同じく変な)人は、あとだいたい1000文字分ほどお付き合いいただきたい。

そもそもなぜ書くことがないのか

なぜ書くことが思い浮かばないのか。それはひとえに、自分自身との共通点が見当たらないからである。私の読書は、自分の中にモヤモヤと渦巻いている問題意識と、今目の前にある本の(大雑把な)内容とを照合し、それらにどの程度共通点があるかを判断するところから始まる。そして、共通部分がより大きいものを手に取る。つまりは、自分で選ぶ本は「問題意識」という網にかかることが最低限必要である。そうしないとなかなか読み進められないからだ。だが本書は、それにかからない。本書の中の言葉は、脳内の網の目をすり抜けてしまって、結局何も残らない。本を読んでも書くことがないというのは、つまりはそういうことであろう。(ちなみに当然のことながら、本書は自分で選んだ本ではなく、同じコミュニティの中の同志の推薦書である。なかなかに厄介な課題図書である。)

よって、本書をちゃんと「読む」には、普段の読書スタイルから見直していく必要がある。自分の問題意識との共通点なんか探してもそんなものはない。ということで、ここではまず自分とドンファンの「相違点」について考えてみたい。共通点がない以上、要は全部が「違う」のだが、本質的か本質的でないかくらいは判断がつく。ここでは前者について考えてみようというのである。

当たって砕けても気にしない

紀州のドンファンはコンドームの訪問販売という、中々に攻めた営業商売から成功の波に乗ったこともあって、極めて「営業マン」的なマインドを持っている。つまりは「当たって砕けても気にしない」という心持ちをしているということだ。実際、自伝の中でも「塩をまかれたって(相撲取りと一緒じゃないか)と思えば大して気にならない」と述べている。しかし、そう思うことで本当に「気にならなくなる」ためにはある種の才能というか、元々育んできた考え方の方向性との相性が必要だ、と個人的には思われる。自分はなかなかこれができないタイプで、どうやっても「気になってしまう」やつなのである。これは本来的に本人の思考の性質にまで起因する、本質的な相違点であると考えられる(ちなみに、自分は営業をやる気はさらさらないが、もし間違って営業の業務をやることになった場合は、腹を括ってドンファンマインドを身につける他ないだろう)。

そう考えてみると、ドンファンは「営業マン」から成り上がったという意味で──内容はコンドームの訪問販売というアレなものだが──実は世間の成功タイプとあまり大差はなさそうである。つまり、基本的には「金になりそうなこと」を一貫してやっており、そのために試行回数をひたすらに増やし、非効率なことはやらない/評価しない。いい悪いはさておいて、こういったタイプはよくある成功者の類型として分類できそうである。

金稼ぎ=美人とヤること、という図式

また、金を稼ぐ目的が目的がひとえに「美人とヤる」というただ一点であることも、タイトルで押し出されている通り、紀州のドンファンを普通の経済的成功者と差別化している点(表面的には)であろう。ドンファンは金稼ぎと美人とヤることをほとんど等価と考えているわけだ。で、結論から先に述べておくと、個人的にこの考え方を聞いたときに感じることといえば、ただ普通に「つまらない」ということである。そう、つまらない。そう言うだけならそれで終わってしまうのだが、しかしなぜ「つまらない」と感じてしまうのだろう。今度はこの感情について言語化してみたい。

先に、ここでの「つまらない」とはどういった心情を表しているかを述べておくと、

「目的を達成するために手段を選ばない」=「目的を達成するために最も合理的かつ楽な方法を選ぶ」=「金稼ぎを最上の手段とする」という図式がドンファンの中に見出されたことに対し、「結局金稼ぎか、誰もやらない他の方法をやってみたとかなら面白いのに」という落胆の感情

となるだろうか。金の使い道が美人を口説くこと「だけ」であることについては突き抜けていて興味深いが、美人に貢ぐために金を使うこと自体は珍しくもないので、個人的にはそんなに面白味を感じなかったのだ。もう少し補足するなら、美人とヤろうとすることそれ自体が面白くないというわけではなく、そのための手段として「お金」という極めて「合理的」な手段にしか訴えていないというところが非常に「つまらない」と思ってしまった。

お金やその他外見的な魅力などとは異なる、非合理的な手段も用いることで、絶対視してしまいがちなお金という道具を相対化してみたり、例えその試みが失敗したとしても、何かしらの学びがあったのであればそれはとても「面白い」ものになるはずだ。それを達成できていなかったという意味で、ドンファンは「普通」であった。まぁしかし、これはドンファンが悪いと言うより、「何でも買えてしまう」お金の方が悪いと言った方がいいのかもしれない。

結びにかえて

1000文字といいつつ、その倍くらいは書いてしまったが、果たしてここまで読んでくれた人はいるのだろうか。いるとしたらそれはなかなか「面白い」人だと思われるので、私の他の記事も読んでみると良いかもしれない。肝心のドンファン本については……この記事をここまで読んで逆に読みたくなるような人、それこそ誰もいない気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?