大学に行くのやめました

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お久しぶりです。今回は僕の進路について書いていきたいと思います。

12月になり、世間では受験シーズンが到来しています。僕も最近、今後の進路についてよく聞かれます。そんな中で、「大学へ行かない」という選択をしたので、報告させていただきます。

なぜ大学に行かないという決断をしたか、これからどうしていくか、などについて書いたので、もし良かったら読んでください。

また、自分の思いを書いていたらめちゃくちゃ長文になってしまったので、どうでもいいところは飛ばしてください笑

このNoteを読んだ上で、アドバイスや批判等ありましたら、是非お願いします。

自分と向き合い続けた1年間-AO入試を通して

ここ1年間を振り返ると「自分は何をしたいのか」ということを追求した1年間だったと思います。

以前のNOTEにも書いたように、僕には「地域から社会を変えていく」という目標があります。その目標を実現させていくために、とある私立大学のAO入試を受験しました。

AO入試を通して、志望理由書などを作る中で、「自分は何がしたいのか」「どうして大学に入りたいのか」ということについて何度も考えました。

書類選考には通過して面接に進んだのですが、面接中に「本当にここの大学に行きたいのか」という疑問が生まれたのです。

面接官から「あなたが考えていることを実践している教授はいるのか」「この大学でなければ学べないことなのか」というようなことについて聞かれました。

事前に、こうした質問が来ることは予想していたので、どのように回答をするか、あらかじめ考えていました。

しかし、面接官に改めて大学に入りたい理由を聞かれた時に、これまで考えてきた「大学に入りたい理由」は自分の本心なのか。と思ったのです。また、面接官と話す中で、自分の考え方と大学の価値観にズレがあるとも感じました。

直感的に、僕は嘘をついているのではないか。「この大学でなければ学べない」というのは偽りで、「高学歴が欲しい」という思いから、この大学に入ろうと思っていたのではないか。そう思ったのです。

「学歴」で大学を選ぶことが悪いと言いたい訳ではありません。また大学に入ってみないと、そこの大学の良さは分からない。と考える人もいるかもしれません。もちろん、そうした意見も一理あると思っています。

しかし、学歴のために自分自身を偽って、「入りたいです」と嘘を言って入ることはできない。そして何より、大学に入ってから後悔するだろうと思ったのです。

でも、なぜ「大学」に行かない選択をしたか

その大学に入らないのは分かったが、ではなぜ他の大学は受けないのか、と思われるかもしれません。
なぜ、こうした選択をしようと思ったか、その理由について、これまで受験をする中で感じてきたことなどについて書いていきたいと思います。

「大学」は必要性を感じた時に行くものではないのか


まず僕は、あくまで18歳で大学に行くのを辞めたのであって「大学に行かない」と決めた訳ではない、ということを説明しておきたいと思います。僕が大学に行かない理由は、現時点で大学で学ぶ必要性を感じていないと思ったから大学に進学しない。ただそれだけのことです。

日本では、18歳の時点で、大学に入るか、高卒で就職するか。このどちらかの選択を迫られ、18歳でどの選択をするかで将来進む道が大きく変わってしまいます。新卒一括採用や再就職がしにくい、といった社会構造がやり直しができない社会を作ってしまっているのではないでしょうか。

しかし本来「大学」は、就職をするまでの休養期間ではなく、学問を学ぶための場所であるはずです。大学は実際に社会に出て活動をする中で、本当に必要性を感じたタイミングで行くべきではないか。僕はそう考えています。

大学の役割を果たしていない現代の「大学」

ここ1年間、自分の気になる教授にメールをして実際に会ったり、ゼミの説明会に潜ったり、学会に入会して(実は制度上は学会は誰でも入れるのです)学術発表をさせていただくなど、一応、大学内部の雰囲気については少しは知っているつもりです。一方で、民間でまちづくりを行なっている団体にインターンをさせていただいたり、僕が個人的に運営しているサイト「名古屋プレス」でまちづくりの活動に取り組んでいる人などを取材する機会がありました。

教授など「学会」で活動している人たちから、実際にまちづくりの「現場」で活躍している人たちまで、幅広い人たちの話を聞く中で(一概には言えませんが)学会など「大学」の感覚が、実際の「現場」と大きくかけ離れているのではないか、と感じてしまいました。

以前、民間のNPOで働いていた経験を持つ大学教授とお話する機会があったのですが、今後の進路について相談すると、「民間の方がよっぽど実践的。大学に行かなくても良いのではないか」というようなことを言ってきたのです。

また、2年ほど前の話ですが、とある大学の学生に「なんのために大学に通っているのか」と聞くと、「就職のための課金」「親に行けと言われたから」などと言われたので、驚いてしまいました。

もちろん、全ての大学がこのように「就職学校」となっている訳ではないし、民間との連携や実践的な研究をしている大学も多くあることは十分知っています。

しかしながら、これまで様々な大学に行き、教授や学生の話を聞く中で、偏差値の高い・低いに関わらず、日本の「大学」が、あまりにも本来の意味とかけ離れており、実際の社会と直結していないという現状を前にして、研究機関としての「大学」はどこに行ってしまったのか。「何のための大学なのか」という問題を感じない訳にはいきません。

近年の研究費削減や学費の値上げにもその実態は現れていると思います。昨年、九州大学の元院生が生活に困窮した末にキャンパス内で焼身自殺した事件がありました。真面目に研究している人に資金がまわらず、大学のキャンパス建て替えには巨額の予算が投じられている、という現状もあります。

また、英語の民間試験導入(一旦、撤回はされましたが)、そして大臣の「身の丈」発言。こうした近年の大学制度の現状を見ていると、政府と大企業と塾・予備校、大学当局が一体化して、極端な言い方をすれば「特権階級を維持するための大学制度」が出来上がってしまっていると言っても過言ではないと思います。
そして、こうした学歴社会は、100年に1度と言われる社会変革が進む中で、今後、徐々に崩壊を迎えているのではないでしょうか。

そんな中で「大学に行かなくても学べる場所」を作ることができたら面白い、と思うようになったのです。

結局これから何をするのか


なぜ大学に行かないという選択をしたのかは分かったが、実際、大学に行かないで何をするのか。どうやって生きていくのか。疑問に思うかもしれません。

僕の目指していることは、大学に行かないという選択をする以前から変わっていません。
「地域コミュ二ティー」の再生を通して、市民1人1人が社会に関わっていくきっかけを作りたいという目標を実現していくために、学び、実践していきたい。

しかし、果たして学ぶことは大学の中でしかできないのでしょうか。

できるかできないか。正直なところ、実践してみない限りは分かりません。だからこそ、僕は、大学にいく予定だった4年間と数百万の資金を使って、自分自身で「新しい時代のコミュニティー」を作ることに挑戦してみたいのです。

大学の起源の1つに江戸時代の「私塾」というものがあります。当時の私塾は(一概には言えませんが)「学歴」や「権威」のためではなく、純粋に学問を「探求」することへの好奇心、「社会を変えたい」と思う人々が集まって作られた。と聞いたことがあります。

100年に一度、社会の価値観やシステムが根本的に転換しようとしている現代においては、何が正しいか。何が誤っているか。お墨付きを与えてくれるものなどない、と僕は考えています。であれば、僕は自分自身で新たな1つの可能性を社会に示していきたいと思っています。

年齢や出身・学歴に関わらず同じ志を持った仲間が集まり、本当の意味で「学問」を学び、実際に地域を変えていく「コミュニティー」を作っていきたいのです。

正直、こうした選択をしたことについて、「不安」を感じない日はありません。大学に入った方が良いのではないか。と思う日もあるし、周りの人たちがどのような反応をするのか。怖くなってしまうことも多々あります。
「かなり大変な道を進むことになる」ということも理解しています。実践してみた結果、やっぱり大学にいった方が良いということになるかもしれません。そうなったら、その時はまた考えます(笑

しかし、人生一度きりなので、どうせなら新しい生き方を作っていく活動に挑戦してみたい。

これから僕が作っていきたいコミュニティー・学び場については、現在、どのような形で実現させていこうかと構想しているところです。
ある程度、まとまったらnoteなどで紹介していきたいと思います!!

長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。アドバイスや意見などありましたら、是非お願いします!!


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