見出し画像

選考辞退の不安の正体

選考通過がそもそもそんなにたくさんあるかどうか?も懸念して、苦闘してきたアラフォー無職転活。
“辞退”の決断を、初めて下すことになった。

なんかすごく、迷って不安になったので、記録しておく。

選択肢、可能性、棄てる不安

現状、いい感触と、面接ごとに「いいな」って気持ちが積み上がってる企業さんがある、とはいえ。
ほんとにそこにご縁いただけるのか、「いいな」も勘違いやバイアス誤認かも?とかあるわけで、可能性が少しでもあるならちゃんと取り組んで進めておいて、と思ってしまう。
欲張りな不安。

失礼ながら“キープ”しておきたいみたいな。
もったいないことをしてるのではないか、みたいな。
バーゲンセールで、片っ端からカゴに突っ込んでくあの様に近い浅ましさを感じて、自己嫌悪。
しかし手放した後で「やっぱり」となったら?という……傲慢であっても、絶対の自信なんてものはないから、短慮ではないか?と不安になる。

そちらのルートを選んだ時に、存在したであろう可能性や機会を「消す」ような気持ちになる。

選べる御身分ですか?の不安

断るのが、なんかすごい、それこそ傲慢な気がしてくる不思議。
事実、けっこーな傲慢なくせに。とさえ思う。
身の程知らずというか、酷いなー、みたいな。

そもそも、まだ本当に把握できたのか?確認しつくしたのか?相手のこと、勘違いしてやしないか?
一方的に決めつけて、思い込みのラベリングをしただけなのではないか?
食わず嫌いみたいな感じだ。
たまたま初めて食べたある食材の、調理法が合わなかっただけで「キライ」と食べるのを避けるようになるような。

生で食べたらおいしいと思えなかったものが、煮込みにしたらサイコー!好み!!になるなんてことは、普通に起こり得ますよね?
むしろ「これ、煮込みにしたらどうよ?」となりますよね。

結局最後は1つに決めるのにね

転活でも、新卒就活でも、現状の社会システム的には1社就社なわけだから、欲張っても仕方ないわけだ。
兼務副業とて、時間と体力は限りがあり、少なくとも自分のキャパでは成果を出すのに欲張るとろくなことはない。

断られる方が気が楽なのは、「選択」の責任から逃れられるからなんだろうな。

エージェントさんにも、手間かけて報いることができないのは申し訳ないが、現時点で、職種希望度、優先度も高くなく、飛行機移動前提の出張多い懸念点が、親の闘病状況からも、自分の体力健康面からも、大きすぎるのは事実。
やれなくはないだろうし、家庭の「万が一」に備えすぎてたら、なにもできない。働けなくなる。
それも現時点で見れば、就社してからの不安に過ぎず、単なる過剰な心配なだけでもある。

でも、いざそうなった時に「無理です」って気持ちもまた、簡単に想像できる。

ワガママを恐れるな。
それでもやりたいか、やれること、可能性を狭めたとしても、引き受けるしかない。
自分に言い聞かせる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?