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上野公園の桜 唐揚げと炒飯 不登校初期 家庭のせい


上の公園の桜がもう咲いてる。

今日はお仲間さん方と遊んでとても楽しい日だったね。有難い♥

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お昼ご飯は鶏もも肉と竹輪の唐揚げ。R君の大好物。

R君の今日の晩御飯はキムチ炒飯とわかめスープ。

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#不登校 初期に周りの大人が勢揃いで『学校行け』『どうして行かないんだ』『他の子は行ってる』『人と同じに出来ないなんて悪い子だ』『学校行かないなら遊んじゃ駄目』『親を悲しませるな』等感情的に言いまくり罪悪感山盛り与えておいて今度は気が変わって受け入れたから元気に頑張れとかキツいわ。

『思い通りに動け』と言われるのがキツいって話だから其れが『学校行け』でも『家で学べ』でも『フリースクールに行け』でも子どもからしたら同じなんだよね。大切なのは本人がどうしたいかって話なんだけど『でも本人がやりたい事を言わないんだから』ってのも見えてないんだなとしか思わない。

そんなに圧力かけられて急に希望を言えって言われてもそういうのを『ダブルバインド』って言うんだよね。大人でもずっとダブルバインド的圧をかけられてると病むんだから子どもで其れをバシッと横に払えるのは余程の精神力の持ち主しか居ない。

そうやって一度病むレベル迄落ちたら大変だから大人がケアしてあけなきゃならない存在なんだと思う。一度病的思考になってしまうと『早く元気になってね』という単なる親の思いすら『又そうやって思い通りに動かそうとしている』としか取れなくなったりするのは割とある。

でも其処で良くある支援方法が『オールオッケーにする』事なんだよなぁ。どっかの本に其れが良いって書いてあるらしいけど其れも一部の子ども側からすると『逃げたな』としか思えない作業なんだって事に気付かない。

子どもはいつだって本気で向き合ってくれる自分の事を見捨てない大人を求めてるんだよね。ビクビクしながら全部オッケーだよって顔色をうかがうことが向き合うってことではない。

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『お母さん、ちゃんと家族で食卓囲んで食事をしていますか?』

私もR君の #不登校 初期に学校の先生や何人かの支援者と名乗る人に言われたなぁ。アレ『不登校は病気だから、そんな病気にした原因がお家の中にある筈ですよね?』という叱責だったんだよな。学校に原因があるとは微塵も考えてない。

親の方も大変だよね。こういう『お母さんが悪いんですよね』にどう対応するかで親力を試されてるんだから。子ども(特にうちの子)は兎に角良く見てる。どう答えるかで自分を守ってくれる人かどうか判断したりするから気を抜けない。

『申し訳ないです😭凄く苦しくて😭』と罪悪感たっぷりに答えれば『自分のせいでお母さんが苦しんでる。悪いことをしてしまった』と思うだろうし嫌な先生なら『お母さん苦しいですよねぇ💦いつか登校出来ますよ😊』って追い打ち掛けて来て子どもの心をズタボロにする。

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