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親友Nと27才ぐらいの時に往復書簡を交わしていた話

ニューヨークにNという親友が住んでいる。

彼とは大学の演劇サークルで知り合い、仲良くなった。いつも早稲田の戸山公園で長時間無駄話をしたり、大隈講堂の前の広場で不健康な弁当を一緒に食べたり、彼の家で酒を飲んだりしていた。

そんな関係が18の頃から随分と長く続いたが、ある晩を境に大きく変わった。新橋だったか、新宿だったかは覚えていないが居酒屋で二人で飲んでいる時に「俺、今度結婚するんだ」と打ち明けられた。

なんだか、ここまで書くと失恋か?と思われるが全くそうではない。第一、10年近く一緒にいて同じ屋根の下で過ごした夜があったのにもかかわらず男女の雰囲気になったことは一度もないのだから。

そうではなくて、次の瞬間、Nはこう口走ったのだ。

「往復書簡をやろう」と。

「俺たちは離れ離れになって別々の道を歩んでいくけど、熱い何かをまだ持っているなら、忘れないようになんか創作していこう」。

その考えに私は賛成だった。金もなくて姉貴の家に無理矢理居候しているわりには、書きたいものもうまく見つからない作家崩れの私の境遇を察してかNは提案してくれたのだ。

小説の往復書簡は確か半年ほどで終わってしまったが、つい先週見直すと荒削りながらなかなかどうして、面白いモノが出てきた。

恥ずかしいけれども、無編集でそのまま載せます。

貧乏な27才の若い魂を成仏させると思って、どうか読んでいってください。

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『KODAK』

(注:私たちはアイウエオ順でお互いに作品を提出しあい、品評していた。コは私の番でKODAK(コダック)という題名をつけた。当時目黒の写真現像所で働いていたためそれを題材にした。)

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100本目のフィルムを現像機に流した時、時刻はすでに夜の11時を過ぎていた。

87本めを感光させてしまってから、すっかりびくついてしまって、それまで目にも止まらぬスピードでケースからフィルムを取り出しわずか3ミリの隙間からネガを引き出し、現像機に流すまで一分もかからなかったのに、馬鹿に神妙な手つきに変わって、一本を用意するのに何だかんだで10分もかかってしまった。

さらにフィルムをプリンターにかけるのに手間がかかるので、これは結局写真を30枚焼くのに一時間近くかかってしまったのと同じロスだった。

かなりのロスだ。
おかげで最後は、感光させてしまったボツ写真を延々シュレッダーにかけながら上司の小言を聞く、という最悪の展開になってしまった。
ボツ写真の一枚めは子供の運動会のそれで、ニコッと笑った口、歯並びも無茶苦茶の無邪気な口元が大きく写されて、鼻から上は無惨にも真っ黒に潰れていた。
それは私に、写真というものへの情熱に一気に水をさす一枚となった。


こんなもの、光を焼きつけたただの紙きれだ。ちょっと外の空気を吸ってきます、そう残して、気がついた時には私は、現像所を飛び出していた。


当たり前だが、東京と言えども夜は暗く寒い。
はるか後方に、現像所の明かりが煌々と照っていた。
遠く離れて見ると、フィルムの感光の一本や二本、何だという気分になった。フィルムどころじゃない。東京の闇を感光させているのは我々現像所の人間だ。

むかむかしながら目黒通り沿いを早足で歩き、坂道を上り、駅までいって、その勢いで山手線に飛び乗った。切符を買わずに改札をすり抜けた時、いくらかましな感覚が戻りつつあったが、後悔してももう遅い。


私は、私の中から写真を捨てるんだ。

五反田駅に着いた。どこに向かっているか自分でもわからない。咄嗟に扉を出て階段を降りると、駅員が四人がかりで何かを運びながら上がってきた。
白い手袋にうやうやしく掴まれたその物は、車椅子の車輪だ。私は、足を止めてしばしその団体を待ち伏せた。
身を乗り出して覗き込むと、椅子の上には女が座っている。顔は長い髪に隠れて見えないが、身なりから言ってもまだ若い。20代前半か半ばの年頃だ。
四人もの男に運ばれて恥ずかしいのか申し訳ないのか、深くうなだれている。
私にはそれが、いけにえに捧げられる処女のように見えて、憐れむような尊ぶような面差しでしばし彼女を見つめた。
そして、心許なくまた電車に飛び乗った。

かと言っても、向かったのは新宿だ。
現像所は目黒にある。
つまり、この旅は限りなく写真に抵抗する旅なのだ。
そうこうしているうちに渋谷を過ぎ原宿を過ぎ、新宿に着いた。
悶々としている場合ではない。目黒から15分で新しい人生をやり直さなければならない。

過ぎていく代々木で、巨大な代々木第一体育館、不敵に真っ黒で巨大な夜の虫を見た。
渋谷では人海が発光するビルの谷間に押し寄せるのを見た。
それから恵比寿。誰かの葬式帰りか、喪服姿の男女が健気に手を繋いでいるのを見た。

新宿に着いたと言うのに、風のように過ぎ去った人生・・・代々木や渋谷や恵比寿が、懐かしい光を放って私の心に焼きついた。


違う。違うんだ。
焼きついたのはただの光なんだ。
偶然なんだ。写真のイメージを振り払おうとして、私は、脳みそに「Kodak」の文字をプリントした。
コダック、アメリカ製のフィルム。
コ・ダ・ッ・ク。
口のなかで破裂したコダックの音を、感傷とかノスタルジーとか思い出とかの、写真にべっとりついたいやらしいイメージ
にぶつけて、ばらばらにした。
KodakはKodakだ。
思い出じゃない。

目黒で電車に乗ってから、ロック好きらしい青年が、恋人にずっと日本の音楽シーンについて語るのを聞いていた。
青年は恋人にむかって、Jポップなんて糞みたいだ、とがなり立てた揚句、あーあ日本終わってんなーとぼやいた。

それを聞きながら私は、いや、まだだ、まだ終わっていない、というか始まってもいない、というありきたりな決まり文句を小声でぼそぼそとつぶやいた。

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