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エコはエゴなんじゃないか?

「インターステラー」という映画を見た。

好きな映画の1つで、見るのは3〜4回目になる。

いろんなテーマが見えてくるし、見る人によって見え方が違うかもしれない。小説とか映画ってそういうものだと思う。

前に見た時は気にならなかったけど、今回見ていて気になった部分がある。

「地球以外で人類が存続する」ために、生存可能な地球以外の惑星を探すわけだけど、地球から出なきゃいけない理由に食糧難が挙げられていた。

植物が少なくなっていくと、人が窒息死する。

そんな世界を予測して、それを回避するために地球から出よう、という目的があったと思われる。


小学校で習った理科の時間に「植物の光合成」があった。

二酸化炭素と水と光で、酸素とエネルギー(糖類)を生み出している働きのことだったと思う。(細かいのは端折っている)


人間の、というか、生物の生存には酸素が不可欠だ。

たぶん、酸素なしで生きていられる生物はいないのではないかな??

酸素を取り込み、代謝反応が行われて、諸々の代謝産物が排出されるわけだけど、二酸化炭素はそのうちの1つだ。


植物はその「二酸化炭素」を使ってエネルギーを生み出す。

人間などの動物にとって廃棄物とも言える二酸化炭素は、植物にとってはエネルギー源だ。

で、植物にとっての代謝産物である酸素は、動物にとってのエネルギー源だ。

うまくできている。


植物は動物を助け、動物は植物を助ける、ように見えるけど、そうでもない。

たしかに植物は二酸化炭素を分解して酸素を取り出す反応をしてくれている。しかし、植物だって酸素が必要なので、その酸素は動物のために生み出しているわけではない。

二酸化炭素を減らすために植物を植えよう、増やそう、みたいな運動を見聞きするけど、エコに見えて実は人間のエゴのように思う。


植物は自らの都合で二酸化炭素を分解しているし、酸素を使って糖類を合成している。

別に人間のためではない。

都合どころか、そのように設計されているからそうしているだけ、のようにも思う。

植物自らの営みを淡々とやっている。


虫も動物も、自らの営みを淡々とやっている。

人間だけは「手に入れて強くしてきた知性」によって、都合をつけている感じがする。

私が植えたミカンとアゲハチョウの関係だってそうだ。

ミカンは植えられた場所で、自らの営みをただ遂行している。

アゲハチョウはミカンの葉を食べて、成虫になりまたどこかで卵を産み、種を存続させる営みを遂行している。

別に、都合をつけて私の家の庭のみかんを狙いにきたわけでもない。


だけど、知性を持った人間の私は、「コンチクショー」とアゲハチョウを目の敵にする。

大きな営みの一部分しか見ないからだ。


「自然には自然の摂理があるのだ」と訳知り顔で、アゲハチョウの営みを見守ってみた。

高さ30cmくらいの、まだ小さなミカンの木は、幼虫1匹に全ての葉を食い尽くされた。

虚しさしかない。

自然の大きな営みとは何なのか???

考えても考えてもわからない。


植物も、虫も、動物も、人間も、さらには細菌類などの微生物も、それぞれの営みを遂行する。

ゴミだ、と思っているものでも他の存在にとっては大切なモノである可能性がある。

植物、動物、虫、微生物の間柄は、なんだかんだでうまくやっているように見える。

なぜ人はできないのだろう。


品種改良、農薬、除菌、などなどは人間の都合には必要なのかもしれない。

私も、その仕組みの中で生きているので、「それらの全てが不要」とは言わない。


でも、冒頭の映画でも描かれたような、「食糧難だから人類が生きられる場所を探しにいく」発想にならない。


野菜を育てたことがある人はわかると思うけど、成長を安定させるために「間引く」という作業が行われる。

種を播いて、発芽したモノ全てを育てようとすると、きちんと育たないから、いくつか残しながら芽を摘んでいくのだ。

限られた空間で、限られた栄養で、成長して成熟して繁殖するために間引くのだ。

人は植物を間引くのだ。

人も植物に間引かれるんじゃない?いつの日か。


どこかでみた推計では、地球上の人口は減り始めると計算されているみたい。

日本なんかは先陣を切って減っている。


ちょうどいい数になって、他の存在とうまく都合つけて生きていけたらいいな、と思う。


誰かにとっていらないものが、誰かにとって必要なものになって、グルグル循環している環境って、気分がいいと思う。

知識とかもそうよね。

頭の良い人が、思いついて、頭の中ではもう要らなくなって、本とか言葉にして自分の中からは捨てちゃっている。

それを、まだ知らない人がありがたく受け取って、まだ知らない人に渡って、ってのをどんどん繰り返している。


新しい何かにばかり飛びつくのではなく、「循環」をフィルターにして世の中を見てみると、自分の中に出し入れするものって変わってきそうな気がする。

今の自分が何して良いのか、何ができるのか、わからないし、大したことはできないと思う。それくらい、システムに慣れ切ってしまった。

なので、ひとまずモノは大事に長く使おうと思う。モノだけじゃなくエネルギーも。

循環していけるモノは循環させていこうと思う。


そんなふうに生きていきたい。


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