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【未完】宇宙生物始末部隊(ベムトラブルシュータ―チーム)scrub[2]

Episode 2「GREEN THUMB~未完成の彼と彼女」

※Episode1はこちらです。

 惑星ウェルトルゲンには宇宙警察(コスモ・パトロール、CP)第25特別部隊、通称「scrub(掃除屋)」の基地がある。CPの中でも宇宙生物(BEM)に関するトラブル対処全般を受け持っているこの部隊には、『ダストシュート』の別名があった。その由来は、CPの正規隊で問題のある者が送り込まれ、その後ほぼ全員が離職してしまうことにある。
 本当は、CP顧問であるアーネスト・ゲインズから秘密裏に依頼された『Re-Start』業務を担っている。CPの中に居場所を見つけることのできなかった隊員たちが、別の居場所に出会えるよう離職・転職をサポートしているのだが、そのことを知る者は、CPの中でも顧問とメンバー以外にはいない。
 そのscrubに最近、一人の女性隊員が加わった。例にもれず現場でトラブルを起こして送り込まれたのだが、そのまま所属することになったらしい。それまでの隊員は4人とも男性だったので、正規隊では様々な波紋を呼び、声高に下卑た噂を囁く者もいた。だがscrubの基地は正規隊の本部から遠く離れた場所にあったので、そういう話が直接耳に届くことはなかった。
「言いたい奴には言わせとけばいんじゃない? 相手にするだけエネルギーの無駄よ」
 当の本人のJがけろりとしてそう言い放つものだから、CもAも以後心配するのをやめた。そうしてscrubの5人は至って平和に、粛々と日々の業務をこなしていた。
 けれどもJの加入は、彼ら4人の変わらない日々にほんの少し変化をもたらし始める。青いお茶に絞ると鮮やかに色を変える、一滴のレモンのように。


 コードブロスが咆哮をあげながら、BとJのエアバイクの方へ襲いかかってきた。2人は無駄のない動きでそれを避け、少し距離を置いて対峙する。完全に正気を失っている。普段はこんなふうに猛り狂うような生き物ではない。のんびりと生息地周辺の草を食み、家族単位で生息しているベムである。なぜ、こんなふうになっているのか。
「――何か中毒性の物を食べちゃったんじゃないかなあ」
 生息地の近隣にコロニーを構えている住民たちからのSOSに応える形で出動要請を受け、現場に到着したscrubの5人は、眼の前の暴れるベムにさほど慌てる風でもなく、淡々とCの分析を聞いている。
「本来はこのあたりに生息していないはずの植物がちらほら見えてるような気がするんだよね。それを食べたコードブロスが、アレルギー反応みたいなものを起こしてるような気がする」
「鎮静できねえのか?」
「すぐには無理。そもそも何がどう作用してるのか、外から見ただけじゃわかんないよ。検体を持ち帰っていろんな検査をしないと、あの状態を鎮静化する方法も見つけられないと思う。今すぐにどうこうできるような気はしない」
 Cが少し哀しい顔になる。こういう場合、どう対処しなくてはならないか、頭ではよくわかっている。ただ心情的には気が進まない。
「――しょうがねえな、殺処分でいくか」
 口ごもっているCを察したかのように、通信機越しにBが言った。
「それしかないようだね。わかった。悪いけどさっきの草原の方へ誘導してくれ。ここは少しコロニーに近すぎる。そうでなくても見物人が多いと気分が萎えるからね」
「別に俺は気にしないけどな、下手に暴れて突っ込んでいかれたりしたらコトだしな」
「え……殺すの?」
 怯んだようなJの声。scrubに着任してまだ日の浅い彼女はそもそも業務の経験が少ない。駆除といっても保護して本来の生息地へ戻すことも多いので、ベムそのものを駆逐することは今回が初めてに等しかった。
「どうにかならないの? C……いつもみたいにさ」
「ごめん。いま、この状態では僕には無理」
「J、Cがダメなら俺たちみんな無理だろ」
 Lがフォローするように付け加える。
「……そうね。ごめん、無茶言って。追い込むわ。B、指示ちょうだい」
「おうよ。俺が仕留めっから、お前は妙な方向に逃げねえように追い込んでくれや」
「狂暴になってるから気をつけろよ、二人とも」
 Aの言葉にモニター越しでふたりが片手をあげて応え、二手に分かれた。Jのエアバイクは周囲の草木をなぎ倒して進もうとしているコードブロスの鼻先に回る。目の前に突然現れたうるさい虫を頭を振って追い払おうとしているベムの背後に、Bのエアバイクが回る。思わず声が出てしまう。
「あっあっ、J、危ない……」
「C、大丈夫だよ。Jはちゃんとベムを見てるし、エアバイクの腕はわかってるだろ?」
「うん、そうだけど……」
 返事をしつつも眼の前のモニターに映っているBとJの様子を見ていると、Cは胸のあたりがきゅうっと締め付けられるような気がした。どうして自分はこういう時何もできないんだろう。時々不意に襲ってくるどうしようもない無力感が、背後に忍び寄ってきていることに気づく。あの現場に出て行っても、何もできないことはよくわかっている。でも、Jは女の子なのにあんなに役に立ってる。それなのに僕は……。
「C! ぼうっとしない! もうすぐ駆除完了するぞ!」
 Aの声にはっと我に返る。Cは慌ててモニターに焦点を戻した。


 コードブロスは、Bの放ったレーザー銃で眉間の真ん中を撃ち抜かれて絶命した。連絡した自治体の担当部署の人間はなかなか現れず、BとJは遺骸の傍らでしばらく待たされた。損傷はほとんどなかったが生体特有の匂いが強くて、Jはヘルメットを脱ぐのをためらった。
「無理すんな、被ったまんまでいいぞ。まだ殺処分には慣れてねえだろ」
「うん、ありがと。あんたは大丈夫なの?」
 Bは既にヘルメットを脱いでいて、少し吹いている風が長めのとび色の髪を揺らしている。
「俺はだいぶ慣れたよ。それに、もっと嫌な臭い山ほど嗅がされてるからな」
「もっと……?」
「まあ、肉の焼ける匂いとか、血の匂い、とか? 『イーグル』も任務成功ばっかじゃねえんだよ」
 Bはそう言って少し笑った。たくさんの何かが、そのうっすらとした笑顔の中に澱のように積み重なっているだろうことが、かすかににじむ苦い色で分かった。
「あっ……ごめん」
 Jは聞き返したことを後悔した。Bは気にするな、というように手を振った。
「旦那はもっといろいろ見てんじゃねえか。なんせ相手が地球人じゃないからな。理屈も概念も、俺たちとは全然違ったりするらしいぞ」
「そっか……考えたこともなかったなあ」
「まあ普通はそうだよな」
 そう言いながら辺りを見回していたBは、ふとある一点で目を留めた。
「――なあ、あれ」
 指さした方には10人ほどの人が立っていた。背格好からするに、大半は子どものようである。
「ちょっと、こんなとこ見せていいの?」
「だな。言ってくっか」
 Bがスタスタとそちらへ向かう。Jも早足でそれに続いた。
 近づくにつれて顔ぶれが見えてきた。こどもが8人、後ろに付き添っているのはふたりの女性。こどもは男女混合だったが、女の子たちは全員べそをかいていて、大人が一生懸命慰めている。男の子たちはやっぱり目にいっぱい涙をためてはいるが、それでも上目遣いでBとJを睨みつけている。この状況をどう解釈していいかわからないJは、当惑した顔で傍らのBを見上げた。
「なあ、あんたたちこのあたりの住人か?」
 Bが子供たちの頭越しに、女性たちに声をかけた。
「あっ! すみません、そう……そうですけど……」
 ふたりの女の子に左右からしがみつかれている女性の方が応えた。
「あんまり子供に見せたいような現場じゃねえから、できれば向こうの方に連れて行ってもらえるとありがたいんだけどな」
「ごめんなさい、私たちもそう言ってるんですけど……」
 おろおろと応えていた声を、一人の男の子がさえぎった。
「なんでブロちゃん撃ったんだよ!」
 叫んだ途端その大きな瞳から涙があふれ、頬を伝ってぽろぽろと流れ落ちる。それが引き金となって、その場にいる子供の全員が、声をあげて泣き出した。
「おいおい」
「あららー……どうするの、コレ?」
  JとBは顔を見合わせた。付き添っている二人が慌てて「みんな、泣かないで」となだめにかかったが、泣き声は大きくなるばかりだ。
「すみません、すみません。この子たちいつもコードブロスのこと見に行ったりしていて、友達みたいに思っていたので、その……」
 そう言いながら何度も頭を下げる。
「あーそうなんですね……それじゃあたしたちが悪者に見えるよね」
「だなー」
 Bは自分に喰ってかかってきた少年の前にしゃがみこんだ。
「なーお前、あいつのこと好きだったんか?」
「そっ……そうだよ、ブロちゃんは何にも悪いことしないんだぞ! いっつもみんなで仲良くご飯食べてて、俺たちが近くに行っても何にもしなかったんだからな!」
「けど、さっきは暴れてたんだよ。それは見たか?」
 少年は思いきり首を横に振る。
「そっか。ところであの柵の向こうには何があるんだ?」
「ムールチャブスの畑……あと俺たちの家とか」
「だよな」
  Bは少年の目をまっすぐに覗き込んだ。
「あのコードブロスはさっき、なんでだかわかんねえけど大暴れしてた。ほっといたらあの柵ぶっ壊して、その何とかいう作物の畑とか、お前らの住んでる家の方までめちゃくちゃにしそうだったんだよ。そうなっちまったら、お前らの父ちゃん母ちゃんも、お前らも困ったことになる、ってのはわかるか?」
 少年は唇をかんでうつむいた。
「あんなでかいのが暴れてたら、取り押さえるのにも人手がいるし、なんで暴れてるのかも全然わかんなかったから、しょうがなくて撃った。ほんとは俺らも何とか捕獲したかったんだけどな、ごめんな」
 Bは優しい声で謝った。少年はそれ以上何も言い返せなくなり、「うぅーっ!」と絞り出すような声をあげ、しゃくりあげて泣き始めた。Bは立ち上がり、泣いている彼の頭をぽんぽんと叩いた。
「あいつらがまた暴れたりしないために、きっちり調べてもらうように頼んどいてやるからな。見てると哀しくなっちまうだろうから、もう帰れ」
 そう言って、付き添っていた女性たちを目で促した。二人が子供たちに声をかけ、泣き声が次第に遠く、小さくなる。それを見送ってからBは向き直り、まじまじと自分を見ているJに気づいた。
「――なんだよ、そのビミョーな顔は」
「いや……意外。こども相手だとけっこーちゃんとしたこと喋んのね。あたしとかCにはすぐに憎まれ口のくせに」
「うるっせえな!」
「あらーん、照れてる? もしかして? あたしがちょっと褒めたから?」
「んなわけあるか! お前らに何か言うと三倍ぐらいになって戻ってくるから嫌なだけだ!」
「あーそう、そうなのねー。まあ、そゆことにしときましょうね、優しいCPのお兄さん!」
「なんだよ、やんのかよ!」
「ほら、すぐそうやってケンカ腰になるんだから。女子受けしないからやめた方がいいわよ」
 いきり立つBを軽くいなしていたJが、近づいてくるビークルに気づいた。
「来たみたいよ、担当のひと」
 ボディに水色のラインが入った小型ビークルが少し離れたところで止まり、作業着姿の若い男が降りてきた。小走りに二人の方へ駆け寄ってくる。近くでみると、胸元にコロニーのマークが縫い取られている。
「すみません、お待たせしました。ご連絡差し上げたザンドリオ・コロニーの環境課から参りましたクルト・ピーターソンです。scrubの方ですよね」
「そうです、ご苦労様です」
 胸元から身分証を取り出そうとする青年を制して、Bは彼の後ろに視線を走らせた。
「あんただけか?」
「あ……と、とりあえずは。ほかのものもみな業務中で……あっ、大丈夫です、連絡して解体業者が来るまでは僕が待機しますから、皆さんはお帰りいただいて構いません。急な要請に応じていただいてありがとうございます。お手数をおかけしました」
 クルトはそう言ってぺこりと頭を下げる。栗色のくせっ毛がぴょこんと跳ねた。
「そっか、わかった。じゃあ後はよろしくな」
「はい! ありがとうございました」
 クルトはもう一度頭を下げたあと、Bの高峰に横たわているコードブロスに目をやった。
「どうしちゃったんだろうな、ほんとに……暴れたりするような奴じゃないのになあ」
 誰にともなく呟いた言葉を聞きつけて、BとJは顔を見合わせ、帰ろうとした足を止めた。
「……ねえ、あなたあの生物に詳しいの?」
「あ、いえ、詳しいって程では……このあたりに俺の実家があるんです。親が少し離れたところに土地を持っていて、そこで作物を作ってるんです。僕はコロニーの管理局に就職したので、今は街の方に住んでるんですけど。だからコードブロスは子どもの時からよく見てるんですよ」
 話しているクルトの頬に哀しそうな色が浮かぶ。
「ほんとに、なんで暴れたりしたんだろうな。普段はあっちの森の中で暮らしてるんですよ。草食だから家畜を襲ったりしないし。俺も何度かあったけど、小さいころ森ん中に遊びに行って出くわしちゃったりして。でも焦ってるのはこっちだけで、向こうは全然動じてなくて、満足するまで草を食べると、悠々と去っていくんですよ。俺らなんかよりずっと大人だなあ、って感じで……」
「あなた、割とコードブロスに好意的なのね」
 Jは彼の話をさえぎった。
「あ、はぁ、や、ほんとに普段は大人しい生物なんですよ」
「そっか……ねえB、さっきCが言ってたこと、ちゃんと伝えた方がいいんじゃない?」
「どのことだよ?」
「ほらあ、アレルギーがどうとか、中毒がどうとかってたじゃない」
「ああ、あれか。——そうだな。こんなことが再発しても困るだろうからな」
 「あのぅ、何のことですか?」
 二人のこそこそ話が気になったのか、クルトが遠慮がちに聞き返してきた。
「ん? ああ、すまん。こいつが話があるってさ」
「ちょ……あたしぃ?!」
「言い出したのはそっちだろうが。多分そーいう説明はお前の方がいいと思う。俺は苦手だ」
 こども相手にはちゃんと話せてたじゃん!などと思いつつ、Jは心配顔のクルトに向き直った。
「あのね、ここにはいないけどあたしたちのチームの中に、ベムに詳しい子がいるのよ。その子がね、このコードブロスが暴れたのは、何かの中毒のせいじゃないかって言ってたのよ」
「はあ……」
「食べてた草の何かがアレルギー反応を起こしてたんじゃないかって」
「いや、この辺はコロニーを開いたときから環境は変わってないはずですよ。コードブロスがもう先住者として生息してたから、その生態系を壊さないように注意して人間側の生活圏を整えていったって聞きました」
「ウチのメンバーが言うにはね、この辺にはないはずの植物がちらほら見えるような気がするって」
「そんなことは……あっ」
 クルトの言葉が止まった。
「――なんか思い当たる節があるようだな」
 腕組みをして聞いていたBの目が変わった。
「あ、いえ……でも、その……」
 クルトの言葉は途端に歯切れが悪くなった。口ごもりながら次の言葉を探しているように見える。何かを隠そうとしているかのようだった。Bは組んでいた腕をほどくと、つかつかと彼に歩み寄った。
「なんか、言えねえようなことなのか? このまま見過ごしたらまた似たようなことが起こるかもしれねえぞ。そのたんびに呼び出されるんじゃ、こっちはたまったもんじゃねえからなあ」
 背の高いBに上から睨みつけられて、クルトが縮み上がっているのが見てとれた。すこし可哀相になって、Jは助け舟を出した。
「やめなさいよ。あたしたちが呼び出されるのは当たり前でしょ、業務なんだから。なんですぐそーいう怖い言い方するかなあ?」
 最初にBをたしなめて、それからクルトの方に正対する形で向き直る。
「これはあくまでご参考までに、ってことなんで、めんどくさいと思ったら聞き流してくれて構わない。たださっきあたしたち、コードブロスを始末するのを子供たちに見られて、悪者扱いされたのよね。あの子らの泣きっぷりを見たら、この辺の人たちはコードブロス、だっけ? あのベムと割とうまくやってたのかなと思った。でも、今回みたいなことが続いてもっと被害が出ちゃったりしたら、場当たり的な駆除じゃすまなくなるかもしれない。根絶やしにしてしまおうとか、捕獲して管理するとか……それ、ほんとに正解かしらね?」
 クルトはうなだれる。Jは続けた。
「だから、できれば今のうちにちゃんと調べてほしいの。そして、今までと変わらず共生できる道を探ってほしいのよ。原因不明だからってうやむやにして、無駄に時間だけが経っちゃって、あとから『あの時、ちゃんとしとけばよかった』なんて後悔しないようにね」
「あなた方の仕事って、ベムの駆除じゃないんですか? どうしてそんなことまで……」
 気力を振り絞って聞き返してきたクルトに、BとJはもう一度顔を見合わせた。
「そりゃあ、ねえ……」
 Bがあとを続ける。
「ま、俺たちも業務だからやってっけど、実際、殺処分なんて気分のいいもんじゃねえんだよ。ベムに詳しいやつがチームに入ってからは、可能な場合は保護して元の生息地に還すようにしてるんだ。今回は突発で危急の案件だったから、やむなくこういう形になっちまったけどな」
「そうなんですか……」
 クルトは再びうなだれた。
「でも、俺まだ下っ端の方なんですよ。先輩や上司が聞いてくれるかなぁ……」
「それはあんた次第ね。必要なら相談に乗るから、その時はまた基地まで連絡ちょうだい。だよね、B」
「おう、『データもたくさんあるから、生態系に合わせた対策とか、希望に応じたアドバイスができると思います』とか言ってたぜ、うちの窓口担当がな」
「窓口って……」
 Aの口調を茶化して真似るBに、Jは思わず吹き出した。あんまリ似てないが特徴はばっちりとらえてる。仲良しさんか?
「ま、言っとくべきことは言ったからな。じゃあ俺たちは退散する。あとはそっちで考えてくれ」
 Bはそう言うと、視線でJを促した。Jも小さく頷いて、二人はクルトに軽く会釈して背を向けた。近くに停めてあったエアバイクにまたがりエンジンをかけると、そのまま、少し離れたところに停泊している大きめの宇宙艇の方へ向かう。森林地帯に近く人家が少ないとはいえ、あまり広くもない空き地にギリギリに停めており、この宇宙艇の操縦者もかなりの手練れと見てとれる。2台のエアバイクが搭乗口に吸い込まれ、起動音が鳴り始めるのを、クルトはぼんやり見ていた。それからはっと我に返ると、慌てて通信フォンを取り出し、ベム解体業者の番号を入力し始めた。

  「はいはーい、お疲れー」
 誰にともなく言いながら、Jが共有ルームに入ってきた。5人は既に基地に帰還していた。先に共有ルームに来ていたAとBが飲み物を探しているらしく、キッチンスペースの方からごそごそ音がしている。Lは出動の後にいつもするように、ゲルニカをひととおり点検するため、まだ格納庫にいる。Jは後ろについてきているはずのCの様子を肩越しにそっと伺う。足取りに力がなく、顔もうつむき加減だ。
「C、なんか飲む? 冷たいの? あったかいの?」
「えっ?あ、うん、ありがと。じゃあココアにしようかな」
「OK、持ってきたげるから座ってなさいよ」
 言いながらキッチンスペースに入ろうとして、ビール片手のBとすれ違う。
「早っ! もう呑んでるし」
「業務終了したんだからいーだろうが。こんなん水といっしょだぜぇ」
 言いながらBはシーリングを外して、缶のなかみを勢いよく呷る。
「はー! やっぱ仕事あがりのビールはうめぇな、やめらんねーわ」
 言いながら缶を振って残りの量を確かめる。ひと呑みでほぼ空になってしまったらしく、「もう一つ」などとぶつぶつ言いながら、回れ右をしてまた戻っていった。
「……ったく」
「そんな言い方するなよ。実働部隊は大変だってわかってるだろ」
 自分のカップに珈琲を注ぎながら、たしなめるようにAが声をかける。
「あたしも実働部隊なんですけどね!」
「じゃあ呑めばいい。俺は何も言ってないよ」
「やったぁ! 鬼軍曹の許可が出たからいただこーっと」
 Jはうきうきした声をあげると、クーラーボックスを開けて次の間を物色しているBを後ろから覗き込む。
「んだよ、結局お前も呑むんじゃねーか」
「だってAがいいって言ったもん」
「俺に責任おっかぶせないでほしいな、あくまでも『自己責任』だからね」
 穏やかな声でぴしりとくぎを刺される。Jは首をすくめて「はぁい」と返事をしながら、フレーバービールに手を伸ばした。
「――なあA、あいつ、ちょっとまずいんじゃねーか?」
 先に2本目を取り出したBが戻りしな、少し声を潜めてAに言った。声の調子が変わったので、Jは気になってそちらを振り向いた。コーヒーを片手にキッチンを出ようとしていたAが足を止める。
「――何か気になることでも?」
 聞き返したAの声の調子が思いのほか深刻そうで、Jは眉をひそめた。どういうこと? それと、誰のこと?
「うーん、どこがって言われるとうまく説明できねぇんだけどな、前ん時とおんなじ空気になってるような気がするんだよな。イーグルにいた時にも、同じような奴けっこう見たことあるんだよ。だんだんしおれてくるっつーかさ」
 缶を持っていない方の手で髪をわしわし掻きながらBが言う。
「あんときは俺も、何も知らんかったから気づかなかったけどな、あとから思い返したらいろいろ兆候はあったなあと思ったんだよ。気ィつけといたほうがいいかもな」
「――わかった。ちょっと注意しとくよ」
 Aの返事にBは小さく頷くと、キッチンスペースを出ていった。残ったAは真顔のまま、持っていたコーヒーをひと口飲んだ。
「――ねえ、何のこと?」
 Jが訊ねる。Aはそこでやっと、Jもいることを思い出したらしい。
「ん? ああ、ちょっとね」
「あいつって、もしかしてC?」
「――どうしてそう思った?」
 質問を質問で返される。
「んー……なんか最近、ちょっと元気ないかなあと思って。いや、元気がないっていうのは違うなあ。カラ元気? っていうのかな、無理していつも通りに振舞ってる感じ」
「わかったんだ。さすが、似た者同士だね」
「だからぁ、Bといっしょにしないでよ!」
「ああ、ごめん。悪い意味じゃなくてさ」
 怒られて、Aは苦笑いを浮かべる。
「Bも君もそうだけど、リーダー基質みたいなものを感じるなと思って。ほかのひとのことをけっこうよく見てて、変化にも敏感で。俺はそういうことにあんまり気がつけない方だから、すごいなって思うよ」
「――何でもこなしちゃうあんたみたいな人に言われても、嫌みっぽく聞こえるわよ」
「そんなつもりは毛頭ないよ。素直に受け取ってほしいな。俺もそのスキル身につけたいな、と思うから見習おうと思って、これでも努力してるんだ。ただなんて言うか、君らみたいな動物的……って言うか、本能的に察知できる域にはねえ、なかなかたどり着けない」
 Aはふう、とため息をつく。
「ほめられてるのかけなされてるのかよくわかんないわよ、その言い方……ねえ、Cは前にもこんな感じになったことあるの?」
「ここにきてすぐぐらいにね。まあ……けっこう大変だった」
「どんなふうに?」
「――説明しにくいな。なってみないとわからない、っていうか」
 歯切れの悪い言い方に、Jは眉をひそめる。
「Aに説明できないくらいってどんなことよ」
「まあ、おいおい何かあったら、ってことで。それよりCの分も用意するんじゃないのか?」
「あっ、そうだった! あたし自分のビールばっか出してるし」
 ココアのことを思い出してあちこちバタバタ開け閉めを始めたJを残し、Aはキッチンを出た。Lはまだ格納庫から戻っておらず、Cが独りでソファに座り、壁に架けられたスクリーンに映る映像をぼんやりと眺めていた。やっぱりあまり元気がないように見えて、Bが気にかけていたのもうなずける。
「……あ、A。お疲れさま」
 気づいたCがいつものように笑顔を見せた。
「お疲れさん。殺処分のこと、あんまり気にしなくていいからな。今回は初めてのケースだし、保護対応するにはデータが少な過ぎた」
「うん、わかってる。しょうがなかったよね」
「BとJが、管理局のひとにちゃんと申し送りしたって言ってたから」
「そうだね。ちゃんと対応してくれるといいんだけどなあ」
 ため息のように言葉が漏れ、頬にかすかに影が落ちる。こんなふうに自分が駆除してベムのことまで心配してしまうようなCが、正規隊からはじき出されてしまった経緯は資料を読んだから知っている。だが、こんなときどんな言葉をかけてやったらいいのか、どうしたら落ち込んだ気持ちを引き上げてやれるのか、それが自分にはうまくできない。12年もこんなところに引っ込んでいるのに、そういうところは全然進歩がない――Aはそんな自分が歯がゆかった。
「お待たせ―! はいココア、あたしの愛がたあっぷり入ってるから甘くておいしいわよ」
「なんだよそれ」
 キッチンから賑やかにJが登場し、Aは苦笑交じりに突っ込んだ。
「ありがと。それで、Jはビールなの?」
「だってAが呑んでいいって言ったもーん」
「だから俺は自己責任って‥‥」
 Aのことばをむしして、Jはシーリングを外すとぐいっと缶をあおった。
「くはーっ、あーおいしい!!」
「ったく……」
 こんな二人のやり取りに、知らずCの頬も緩む。「ねえ、何見てんの?」とスクリーンの映像を覗き込みながらJがCの隣に座り込み、二人はいつもの調子で女子トークを始めた。その様子に少しほっとしながら、Aは共有スペースをあとにした。

 部屋に戻り、Cは大きなため息をついた。近頃何となく気分が落ち込んでいる。それがほかのみんなに心配をかけているのも気づいていて、心苦しい。落ち込んでいる原因も自分でちゃんとわかっている。とても個人的なことだ。誰が悪いわけじゃない。こんなふうになってしまうのは子どものころからだ。多分、持って生まれた性格、なのだと思う。
 この基地に来て以来、Jはもっぱらベム駆除の実働部隊の任務を受け持っている。エアバイクの腕は確かだし、Bの無茶ぶりにも文句を言いながらちゃんと応じているし、無茶過ぎると思ったら、ちゃんとストップをかける。状況に目配りをする能力もある。総じて、とても『使える』隊員だった。AもBも、何やかやと言いながら次第に彼女に対する信頼度を深めているのは見ていてわかる。彼女は短い間でこのscrubにしっかりと自分の居場所を確保していた。
 それは嬉しいことなのだ。Jのことは大好きだ。かつてここに回されてきた女性隊員には、嫌なことばかり言われてきた。気持ち悪いとか、変態だとか、おかしいんじゃないの? とか。
 Jにそんなことを言われたことは一度もない。今までずっと、自分を抑えていることが多かった。でもJは、男のくせに婦人物の洋服や靴やバッグばかり集めているような自分の嗜好にも特に言及しない。一緒に買い物にも行ってくれるし、お茶もしてくれる。Jといると自然体でいられるのだ。そんな相手に出会えたのは初めてだった。
 だけど……だからこそ、感じてしまうのだ。Jがきっちりと任務をこなし、軽口を言われながらも認められていくにつれ、自分が、何もできないことを。どうして僕はJみたいにできないんだろう。
 わかっている。そもそも今まで生きてきた過程も、素材も、全く違うのだから。でもscrubに来て、ベムの扱いで今まで学んできたことが役に立つとわかって、嬉しかった。でも実際の駆除に出てみると、言われた通りには動けないし、怖いし、気持ち悪いしで、全く役に立てなかった。AもBも一度の業務でそれをわかってくれたので、以後実働部隊からは外された。
「見た瞬間にムリだと思ったけどな」
 初業務から戻った後でLがぼそりと呟いたのが聞こえた。
「俺は一回やらせてみねえとわかんねえと思うからやってもらった」
「ごめんね、君も断ってくれてよかったんですよ」
 そっぽを向きながら言い訳するBち、まだ他人行儀な物言いだったAが」、それでも慰めようとしてくれているのが分かった。申し訳なさでいっぱいになって、落ち込んで、自分なんか役立たずだと自分を卑下して、そして……箱のふたが開いてしまった。あの時はほんとに迷惑をかけたと思う。
 今は、その時と気分が似ている。自分でも何となくわかるから、努めて気分を引っ張り上げようとしている。でも、今日の泣いているあの子たちの姿は応えた。しっかりしなくちゃ……また迷惑をかけてしまう。
「……シャワーでも浴びよ」
 つぶやいて、Cは動き始めた。まだ少し、生気がない。また一つため息が、部屋の中にふわり、と漂った。

  二週間ほどが過ぎた。二・三日ごとに入る出動要請はどれもルーティンワーク的な内容だったので、皆それぞれでいつも通りの担当をこなして滞りなく完了することができた。Cもいつもの通りちゃんと後方支援をこなしていたので、彼自身も周囲も内心ほっとしていた。あの時感じた感情の揺らぎは収束したようだ。今回は大丈夫だった……そう安心していた。
 思わぬ来訪者はそのタイミングでやってきた。前日に業務があったので、その日は休暇にあたっていた。、皆いつもの通り、思い思いに時間を過ごしていた。JとCは共有スペースで他愛のないお喋り、Aは昨日の業務で得たデータの整理、Lは自室(多分寝ている)、珍しくBも基地にいた。
「いつもなら朝からビンチボウル行くのに、今日はどーしたの?」
「今日はステイだ。買物の予定がある」
「へー! ますます珍しい、ちなみに何なのか聞いてもいい?」
 Jが面白がって喰いつく。Bは照れくさそうな仏頂面でそっぽを向いた。
「――そっか、もうそんな時期なんだね」
 Cが何事かを思い出したように言ったので、Jは今度はそちらに喰いつくいた。
「えーなになに? C、知ってるの?」
「うん……でも……」
 Cは口ごもり、そっとBの方を窺う。
「――言ってもいいぞ。今年はそいつにも付き合ってもらう予定だったからな。まだ言ってねーけど」
「そうなの? それいいと思う! Jの方が好み似てるかもしれないし」
「えーなになに? もしかして女のひとへのプレゼントぉ?!」
 Jに言い当てられたBは、赤くなりながら舌打ちする。
「あーうるっせえな! そうだよ、妹の誕生日なんだよ!」
「なーんだ残念、彼女じゃないのか―」
「お前、ぶっ飛ばすぞ!」
 大げさに残念そうな声をあげるJに、Bが照れながら精一杯凄んでみせる。
「あーまあでもそうか、彼女へのプレゼントをあたしたちに相談するわけないよねぇ。こうなるのわかってるもんね。へえ、B、妹さんいるんだ」
「サンディさんって言うんだよ。僕と同じ歳なんだって。可愛くて元気のいい子だよ」
「C、逢ったことあるの?」
「うん、何回か遊びに来てる。そのうちJも逢えると思うよ」
「ほんと? 楽しみだわ。可愛いってことは兄貴には似なかったのね、よかったわね」
「うるせーわ」
 Bがぶつくさ言いながら黙り込む。JとCは顔を見合わせてくすくす笑った。
 その時共有スペースの扉が開き、Aが入ってきた。コーヒーでも取りに来たのかと思ったが、それにしては妙な顔をしている。どうしたんだろ……Cは小首をかしげた。
「あ、A! お疲れー、小休止?」
 Jの問いかけには答えず、AはCの方を向いた。
「C、お客さんなんだけど」
「お客? 僕に?」
 赤紫マゼンタの瞳が驚きで大きく見開かれる。
「……全く思い当たらないんだけど、僕に逢いにくる人なんて」
「モリアックさんていう方だよ。ジェラール・モリアックさん」
 Cの顔色が変わった。Jは驚いて眼を見ひらいた。いつもふんわりした優しいオーラを漂わせている彼が、今まで見たことのない険しい顔になっている。その空気はAとBにも伝わっていた。
「ーーとりあえず格納庫に入ってもらったけど、逢いたくないなら帰ってもらってもいいんだよ。話なら俺がする」
「俺が怒鳴りつけて追っ払ってやってもいいぞ」
「ーーいい。逢うよ」
「大丈夫なの?」
 聞き返したJに、Cは無理に笑ってみせる。
「大丈夫、どうして逢いに来たのかはなんとなくわかる。それにその……悪いひとじゃないんだ」
「必要なら同席するよ?」
 Aの申し出にCは一瞬迷ったようだったが、かぶりを振った。
「ひとりで逢う。でもまさかの時はお願いしたいな、その……いろいろと」
「わかった。じゃあ通すよ」
 言い残してAは共有ルームを出ていった。Cはソファに座り込む。
「ねぇ、ほんとにいいの? 全然大丈夫そうに見えないんだけど」
 Jがもう一度聞き返す。
「んー……わかんない。たぶん大丈夫、だと思いたいけど……ねぇJ」
 Cは顔をあげた。その瞳が思い詰めているような光を帯びていて、Jは内心驚く。
「できれば何が起こっても、嫌いにならないでほしいな……その、僕のこと」
「――何言ってんの? そんなことあるわけないじゃない!」
 Jは努めて平静を装って応えた。そして笑ってみせる。Cは安心したようで、ほんの少し表情が緩んだ。
 戻ってきたAが「ブリーフィングルームに案内しておいたよ」と告げると、Cはきゅっと唇をひき結び、共有ルームを出ていった。入れ替わるように、格納庫でゲルニカの整備をしていたLが戻ってくる。
「妙なのが来たな。逢わせていいのか?」
「そうよ! あの子なんか変よ、大丈夫なの?!」
 右と左から2人に言われてAが困った顔になる。
「うーん……Cがひとりで逢うって言ったからね」
「大丈夫じゃねぇと思うんだがなぁ、んっとに。あいつ、何遠慮してんだ?」
「かと言って、本人がいいって言ってるのにむやみに部外者が入っていくのもねぇ」
「あっ! あたし偵察に入ろうか? コーヒーお待ちしましたとか言ってさ」
 元気よく手をあげて言ってしまってから、3人の微妙な表情を見てJは『まずかったかな……』と後悔する。先に立たず、なのだが。
「……だめ?」
「いや、ダメってわけではないんだけどね」
 Aが眉間に深く皺を刻みながら応える。
「――存外、得策かもしれんぞ、A」
「そーだな、俺たちの誰かがウェイター役じゃ、向こうさんも気持ち悪いんじゃねえの?」
  LとBが口々に言う。
「いや、でもさ、Jはまだ知らないから……」
「scrubにいるかぎり、いつかはわかることだ。それに、今日起こると決まったわけじゃない」
 静かだがきっぱりとした口調でLが言った。Bがその横でうんうんと頷く。
「ねぇちょっと、あたし、話に置いてけぼりなんですけど! どーするの?」
 3人の話が全く要領を得なくていささか腹立たしく思いながら、Jはもう一度聞き返す。Aはまだ躊躇しているようだったが、代わりにLが応えた。
「J、行ってこい。ただし……」
 灰色の眼が厳しくなった。
「何を見ても騒ぐなよ」
「お……おお、了解」
 なんだそれ? と思いつつ、Jは手早くコーヒーを2人分用意した。Cの分のほうにミルクと砂糖をたっぷりと入れてやる。
「ーーそれじゃあ行ってくるわ」
 Aだけがまだ首をひねっていたが、あとの二人は頷いてくれた。Lが「行ってこい」と片手を振る。Jは共有ルームを出て、Cと客人のいる筈のブリーフィングルームへ向かった。
 ドアの前のインターフォンを押したが返事はなかった。首をかしげつつもう一度ボタンを押そうとした時、中から大きな音がした。Jは反射的に開閉ボタンを叩いた。ドアが開く。
「しつこいわね! クリスは行かないって言ってるでしょ!』
 倒れている椅子、床に座り込んでいる男、腕を組んで仁王立ちの……C? 赤紫マゼンタの瞳が、飛び込んできたJの方を見た。なんだろう……ものすごい違和感。CなんだけれどCじゃない、ような……しかもその視線にはっきりとした敵意を感じて、Jは一瞬ひるんだ。
「行かないって、クリスは君だろう?」
 男が訊ね返した。困惑が声色から見てとれる。Cの険しい視線がJからその男に戻る。
「あんたたちの都合でクリスをあそこへ連れ戻さないでって言ってるのよ。 この子がどれだけの想いで今ここにいるか知らないくせに!」
「ちょ、ちょっとC、話が見えないんだけど!」
 Jはとりあえず大きな声でCの言葉をさえぎった。Cがくるっと向きを変え、つかつかと歩み寄ってくる。その歩き方さえ、いつもの彼ではない。目の前にで止まると、彼は挑戦的にくいっと顎をあげてJを睨みつけた。
「あんたもよ! せっかくできたクリスの居場所、取らないで!」
 いきなり上から言われて、Jはカチンときた。
「はあ? 何言ってるか意味わかんないんだけど!」
 負けずに言い放って詰め寄ろうとしたところで左腕を抑えられた。
「おいやめとけ。客がますますビビっちまうだろーが」
 いつの間に入ってきていたBがそう言ってため息をついた。それから相変わらずこちらを睨みつけているCに視線を移す。
「お前もだぞ。いきなり出てきて怒鳴り散らされても、客もJもなんだかわかんねえだろ」
 たしなめられたCがむくれた顔で黙り込む。C? いや、違うわ――Jは思い直す。見た目はCだけど、中身はCじゃない別の誰かだ。自分を抑えていたBの右手を振り払うと、Jは彼に訊ね返した。
「どーゆーこと?! あれ、誰? Cじゃない!」
「うん、正解。説明させてもらえるかな? Jも、そちらのお客様も」
 Bの後ろから入ってきていたAが、努めて穏やかな口調で言った。その後ろにいるLが、ちょっと肩をすくめる。客人の男はようやく立ち上がった。Jと同様、何が何だかわからないといった顔をしている。その彼に苦笑交じりの会釈をして、Aはふくれ顔のCに話しかけた。
「久しぶりだね、マリエンヌ。二回目だけど俺たちのこと覚えてる?」
 答える代わりに、Cはプイとそっぽを向いた。JはAが口にした名を繰り返した。――マリエンヌ?

 「僕はジェラール・モリアックと申します。突然にお邪魔したうえに騒ぎを起こしてしまい申し訳ありませんでした」
 客人は最初に自分の名を名乗り、それから謝罪の言葉を口にした。先ほどのブリーフィングルームから場所を移して、六人は共有ルームにいた。テーブルをはさんでAが彼と向き合い、残りの4人はそれぞれ好きなところに座っていた。『C……いや、Cじゃないか? でも見た目はC……あぁなんか面倒くさい!』だんだん頭の中がぐるぐるしてきたので、Jは彼が誰であるか考えるのをいったん脇へ置いておくことにした。外見はCだがAからは「マリエンヌ」と呼ばれた彼は、相変わらずふくれっ面のまま、なぜか二人掛けのソファのBの隣に陣取ってそっぽを向いている。普段はあまり見ない組み合わせである。
「Cに逢いに来たとおっしゃってましたが、彼とはどういったお知り合いなんですか?」
 穏やかな口調でAが訊ねた。だがJはこの言い方に聞き覚えがあった。冷静に、容赦なく相手を追い詰めていくやつだ。内心、少し『お気の毒』という気持ちが湧く。
 尋ねられた相手は我に帰ったようで、背筋をピンと伸ばした。
「僕はランペール・コンツェルンのホテル事業部に所属しています」
「ランペールって、あの<ホテル・エトワール>の?」
 モリアックは頷いた。
「こちらの皆さんは彼……クリスの経歴についてはご存じかと思っておりましたが、そうではなかったのでしょうか。最初に僕が通信で彼に会いたいと申し上げた時、とまどっていらっしゃったようなので……」
「ああ、いえ、知ってはいたんですが、思い出すのにちょっと時間がかかりました。彼はここではロシュフォールと名乗っていたし、普段は単に「C」と呼んでいるもので」
「それはお母様方のおばあさまの苗字よ」
 Cが口をはさんだ。その口調はいつものCのものではない。10歳かそこらの女の子の、怒ったような言い方——ああ、彼女が「マリエンヌ」なのか。幾分混乱の収まってきたJは、ようやく腑に落ちた。どうしてこういうことになっているのかは皆目わからないが、眼の前の状況を考えるとそう納得するしかなさそうだ。あとでAを捕まえて、とっくり説明してもらわねばなるまい。
 モリアックは目を丸くしてCをまじまじと見つめ、あろうことかクスッと笑った。
「――僕は君を知ってますよ、マリエンヌ」
 驚いて目を見開くC。J達4人は一斉に眉間にたて皴が刻まれる。この人、いきなり何を言い出すんだ? そんなJの心の声は聞こえていないので、モリアックは言葉を継いだ。
「僕の家は父の代からランペール・コンツェルンをお手伝いしていて、社長とは家族ぐるみのお付き合いをさせていただいてるんです。3学年下に社長のお子さんがいたのは校内じゃ有名な話だったよ。元気のいいお嬢さんと、大人しい息子さんの双子だって」
 Cの頬がぱあっと赤らんだ。Bがうんうんと頷き、Aが意外そうな顔になり、ほんの少し警戒を緩めたのが分かった。Lだけが表情一つ変えない。
「でも……」
 モリアックは顔を曇らせ、少し言いよどんだ。
「君は確か、その……」
「――10歳の時に事故で死んだ、そう言いたいのよね」
 C――マリエンヌが彼の言葉を引き継いだ。先ほどの元気の良さはもう消えていた。声に諦めの色がにじんでいる。モリアックもそれ以上繋ぐ言葉が見つからず、部屋の中に重い静寂が落ちた。
「……ねえ、ごめん。あたし、ここに来たばっかなんで、今何がどういうことになってるのかさっぱりわかってないんだけど、よかったらモリアックさんとあんたたちで、きちんと順序だてて説明してくれない?」
 静けさを破ったのはJだった。
「――そうだね。その方がいろいろ整理できていいかもしれない。モリアックさん、あなたがここに来た理由もお話しいただきたいんですけれど、いいですか?」
 少し考えこんでから、Aがモリアックの方に向き直ってそう訊ねた。
「そうですね。ぼくも思っていた事態とだいぶ違ったので、少し戸惑ってしまいました。お騒がせして申し訳ありません」
 そう応じたモリアックに先ほどまでの混乱はなく、口調も滑らかなビジネスマンのものに戻っていた。
「――んじゃ最初から始めるか」
「あ、ちょっと待って!」
 ぼそっとつぶやいたBをさえぎるように言って、JはC――マリエンヌの方に向き直る。
「マリエンヌ、だったわね。ひとつ聞かせて」
「なによ」
 ぶすくれた声でマリエンヌが応える。だがその口調とは裏腹に、隣に座るBの左腕に両手でぎゅっとしがみついている。結んだ唇に、かすかな恐れがにじむ。こどもなんだ、とJは思った。威嚇するつもりはない。だがこれだけは確かめておきたかった。
「Cは今、どこにいるの?」
 Jはマリエンヌをまっすぐ見据え、やや厳しい口調で訊ねた。マリエンヌは一瞬息を詰め、何か言い返そうと口を開きかけた。Bに抱きついた手に力がこもる。
「――Cのこと心配してんだよ。お前がどう感じてたかはわかんねえけど、少なくてもCとあいつは仲がいいし、いっつも二人でキャーキャー笑っててうるせえぞ」
 マリエンヌが声の方を見上げる。Bがにっと笑って、抱きついている彼女の手をぽんぽん、と叩いた。
「――クリスは今、眠ってる。いろいろ重なって、ちょっと心が辛くなっちゃって、前みたいに壊れちゃいそうだった。だからあたし、出てきたの。いまは深いところに潜って休んでる」
「――そう。ちゃんといるならいいのよ。じゃあ最初から説明して」
 Jはにっこり笑うとAにパスを投げた。「クリスの居場所をとらないで!」と叫んださっきのマリエンヌの言葉が、ずっと頭の隅に引っかかっている。また気づかないうちに、何かしてしまったのかな。Cが辛くなってしまったのは、あたしのせいだろうか。そんなJ自身の不安はとりあえず奥の方へしまい込んでおくことにした。

≪続く≫

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