見出し画像

2、父がいなくなった日

私が小学3年生このころ、気づいたら父はいなかった。

うちの父は元々交友関係が広く、週3は友達の家に遊びに行っていたため(多分)すぐには気づかなかったが、ある時ふと、やたら父と会わないな…と思ったのだ。

母にこの事を聞きたかったが、なんとなく聞けない空気のまま父不在で毎日を過ごしていった。
その間母は以前と変わらず毎晩のように酒を飲み、機嫌は毎日乱高下を繰り返していた。

ある時「仕事をもう一つ増やしたからね。」と言って、母は派手なタイトスカートと肩パッド入りのスーツを私に見せてくれた。当時母は化粧品工場勤務でシンプルな格好を好んでいたのに、その見せてくれた服は赤いジャケットに黒いスカート、金色のネックレス…。昭和世代の「お水商売そのもの」という感じの服で、それでも美人で高身長の母には、とても似合いそうな服でもあった。

その仕事も昼勤務らしく、休日の夕方にそんな装いで帰ってくる母の姿にも特段、違和感は感じなかった。

そんな母だったが食事は毎日手作りで、勉強もせずホラー漫画ばかり読む私はよく叱られもしたし、たまの休みにはミスタードーナツへマフィンを食べに行ったりと、母なりに私への愛情はあったんだと思う。

父がいないことで少しの寂しさは多少あったが、私は「もう父はいないものだ」と、片付けてもいた。

…父不在が続いたある日曜日。

母が慌てたような面倒くさそうな態度で
「うましおちゃん、車に乗って。センター(町のデパート)に行かないと。」と言った。

母は私を車に乗せてお町(町の中心部)へ向かった。
走る車中から側道を眺めていると、なんだか見覚えのある後ろ姿の男性を見つけた。

そう、それは久しぶりに見た父の後ろ姿だった。
毛の薄い頭部。ガリガリに痩せ細った手足、黄色いTシャツ。その男はおにぎりみたいに大きく汚いリュックを背負い、街へと続く大通りを歩いていた。

「あ、あれ!!」

私は後部座席から男をゆびさし、母に叫んだ。
母はハンドルを握りながら目を細めて「んん〜?!…なにあれ!?何、あの細い…え?…ええ〜っ!」と言いながら私の指差した方向を見て、近くの路肩に車を止めると、それに気づいた男がこちらを向いた。

「あれ?なんでここにいるの?」

三ヶ月ぶりに聞いた父の言葉だった。

父はいなくなったのではなく、三ヶ月ほどインド横断旅行に行っていたのだ。インドからネパール、ミャンマーに渡り毎日歩いて日々を過ごしていたのだ。父がインドから帰ってきてしきりにいう言葉は「みんなとにかく人懐っこくて優しい!」ということだ。色んな場所で大層親切にしてもらったらしい。
私はそんな感想は全く興味がなかったが、父が帰ってきて入った風呂の湯船が、みるみる真っ黄色になって、そのあと1週間以上毎回真っ黄色の湯船を見たこと(多分毎日カレーを食べていてウコンの色素が体から出た、もしくは付着していた?)、その後父が作ったインドカレーが油ギトギトでとにかく食べれたもんじゃないうえに「左手は不浄。食べ物は右手で食え」と言って日本食も手で食べたりして、母が毎日発狂していていつもの日常が戻ったと、少し安堵したのを憶えている。

↑詳しい事を聞いたら教えてくれたが、それよりもおじさんならでは絵文字が炸裂している方がじわる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?