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清水港にて。

父がインドから帰ってきて次の週の休みだったか。

父に連れ出されて清水港へ釣りをしに出かけた。この時すでに私は「父の舎弟」という位置付けだった。

私がずっと欲しかった流行りのウォークマンを、貯めたお年玉で買おうもんなら「ただカセット聞くだけでもったいないから、ラジオ付きにした方が良い」と言い、ラジオなどほぼ聞かない私に無理やり三万円のウォークマンを買わせほとんど父が所有していたことがあった。
母は「子供のお年玉にたかって…」と大変呆れていたが、そんな母も夜になると酒を飲みグデングデンになっている姿を見ると、どっちも親失格だなと思ったりもした。

父に連れて行かれる遊びは大して面白いものではなかったが、目新しさに飛びつき、暇な私はいつも父について回った。
しばらく釣りをしたところで、父が興奮したような声で「うすしお!こっち!!」と私を呼んだ。
見るとそこには大きな貿易船が到着していたのだった。
船先に見たことない言葉で文字が書かれており、茶色いサビがところどころに散らばる、はっきり言って超絶的にボロい幽霊船のようなその船は、真っ黒い煙突から濛々と黒い煙を出し、港に停泊していた。
もう全てが自然環境によろしくないという感じがプンプンした。

父はそわそわし、何かぶつぶつ言っている。そして気づくと中へと入って行こうとする。私は慌てて後を追い、鉄の桟橋をギシギシ鳴らしながら、私たちは船内へと入っていった。

「お、お父さん。これって…入っていいの?」

はじめて入る外国船、しかも船はエンジン音を鳴らし振動している。外国の所有物に無断で入っていいのか。もしもこのまま動いて船が出発したらどうしよう…と怯えていたが、父は

「大丈夫大丈夫。船の中は国境はないから!」

笑いながら平然と中へと進んでいく父。もう私はそれに従うしかなかった。

船内は思っていたよりも狭く、10メートルも歩けば楕円形のドアにぶつかる。父はそれを開けてズンズンと中へ入っていく。

そのうち、船内にいた男性とすれ違った。肌は黒に近い茶色。目はぎょろっと大きく体は痩せ細っていて身長は170cmはあるかないか。
それは多分生身のインド人だった。
私は初めてインド人を見たのでとにかくびっくりしたが、あちらもぎょろぎょろとした目をさらにギョッとさせた感じで立ち尽くしていた。
父は明るく「ヘイ!ハローハロー!」と笑顔で話しかけ「アーユーフローム?ホエアシップ、フローム??」と適当な英語で話しかける。インド人は私をちらっと見た後、父と何か喋っていた。
その後も私たちはどんどん中へと進む。途中で何人かのインド人に出くわすが、みなギョッとした顔をしてこちらを見ていた。その度に父は陽気な感じで「ハロー!ハロー!ハウ、ドゥーイン??」と笑顔で挨拶している。すると、皆、真顔で父と握手。なんだこの光景は…。その後も誰にも制止されることなく、細い廊下をひたすら進んだ。
船内は薄暗かったが、人の多さに比べて二酸化炭素が充満している感じでもなく、インド人だから中はカレー臭いかといえばそれもなく、少しの排気臭と、少しのこもった空気が漂うだけで割と無臭に近かった。
ただ、すれ違うインド人は皆真っ黒で痩せ細り、目がぎょろっとして誰も笑ってなどなく、仄暗く狭い廊下をこちらを凝視して左右に立ち止まっている。そんな彼らもその場所も、異物を見るようなその視線も普段の生活とはかけ離れた船内も、全てが全くもって居心地の良いものではなかった。そんな陰湿な雰囲気とは真逆に、陽気に全員に話しかけまくる父との対比はなかなか見応えのあるものだった。

しばらく進むと、父が突然「もう飽きたな。そろそろ出るか!」と言い放ち、外へのルートをあっという間に探し出して気づいたらもといた鉄の桟橋へと場所へと私たちは戻っていた。

私は外の空気を全身に浴びてホッとしたが、父は構うことなくまだ見知らぬインド人と喋っている。

帰り際、桟橋で父とインド人のおじさんが何か喋りながら、私にリンゴを手渡してきた。
「インドのだって。これは貴重だな」それはところどころぶつけて凹んだ小さなリンゴだった。そしてこれでもかと言わんばかりに真っ赤な色をしていた。
インド人のおじさんは、私を見て、ニヤッとした笑顔を浮かべて一度頷いた。

帰りの車中、もらった真っ赤なそのりんごを一口齧ると、既に食べ頃は過ぎていてサクサクと歯応えのない音と味気ないリンゴの味が口いっぱいに広がった。

※父に確認したら、釣りをしている時に船を見つけてすぐさま税関に飛び込み、中に入る許可を得たらしいです。
そして、数日後そこで知り合ったインド人と二人を招待してうちで夕飯を振舞ったらしいが、私は全く記憶にない。

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