見出し画像

覚悟とKeepはやがて出会う

「もし」と言う事を幼少期から考えるタイプであった。
むしろ考えすぎるくらいのタイプ。

「もし」、その事ばかりを考え、覚悟が決められず、そのうちいい風が吹くんじゃないかと成行きに任せ、そして人の顔色を窺った。
最終的にはなる様になるさと、半ばやけになり自分のポジションを狭めていく。そんな20代を送って来た。

31の時に娘が生まれた。
これはしっかりせねばならないと、「もし」等と言う事を考える余裕もなくなり、必死になった。娘に恥ずかしい思いはさせられないと。

もし、娘が生まれて来なかったら、人生は全く違うものになっていただろう。
娘が生まれて来たからこそ、自分の人生があり、出会いがあった。

もし、あの日、私が娘を連れて出かけなければ、もし、少しでも左に注意を向けていれば、その自問自答に永遠に終わりはない。

暗転するとはこの事を言うのだと思う。

明けない夜は無い、生きていればいつかいい時が来る。

そう言う事が全く通じない世界がある事を知った。
まさか自分に起きる事はあり得ないと思っていた事が起きた。

自分の娘が、突然、命をとられた。

その事の後でも多くの人に出会った。

ICUで私に声をかけ続けてくれた男性看護師。
明らかに人出不足で目が回る忙しさのか、一般病棟から葬儀へと向かう段取りを整えてくれた男性看護師。
ガーゼを日々交換し、傷に触れぬ様に洗髪してくれ、転院の際には頑張ってとそっと声をかけてくれた女性看護師。
搬送から1年半の間、ずっと担当してくれた緊急手術の執刀医。
転院先でいつも気にかけて様子を見に来てくれた女性看護師。
退院後1年半以上の間、常に励まし続けてくれたリハビリ先の理学療法士。
子供の葬儀は初めて担当するという葬儀社の担当者。
警視庁被害者支援室支援員、葛飾警察交通捜査課、被害者支援都民センター、捜査検事、公判検事、被害者支援弁護士、公判検事事務官。

出会ったすべての方をここに挙げる事が出来ない程、様々な人達に出会い、お世話になった。
皆、仕事だ。
しかし、仕事だと割り切る事が難しい対象者だったと思う。

もし、変わらず娘が生きていたら、決して出会う事が無かった人達。
出会う必要が無かった人達。


2021年6月、NHKの事件の涙を見た。
犯罪被害により子を殺された遺族が、裁判後の記者会見等とは全く別の次元でずっと闘い続けている姿を初めて知った。

繋がっているとは全く思っても見なかった、東名高速飲酒運転事件の井上保孝さん、郁美さん夫妻が繋がっている事を知った。

刑事裁判が終わったら、本郷さんが主催するひこばえに必ず行こうと思った。

2022年の7月に初めてひこばえを訪れた。
ライブラリーのコンセプトは正直まだよくわからなかった。



刑事裁判が終わってからも、当然の様に毎日交通事故の記事を読んでいた。
その中に防犯カメラを設置する父親の記事を見つけた。

記事には、
「2012年春に起きた亀岡市の暴走事故で、長女の松村 幸姫ゆきひ さん(当時26歳)を亡くした中江美則さん(58)(南丹市)が27日、交通事故の捜査や防犯に役立てようと、事故現場近くの府道脇に自費で購入した防犯カメラを設置した。」
とあった。
事件から10年を経て、自費でカメラを設置している父親がいる事に驚き、カメラは設置できるんだなと思った。

刑事裁判において最も重要なのは、客観的な証拠である事を知った。
何かを現場に残したい、抑止になる何かを残したい。
刑事裁判前後からその事を考えていた。


2022年9月 大分一般道194㎞事件の署名活動に妻と行った。

井上郁美さんとお会いした。
その気合と熱量が想像以上で驚いた。
なぜ、ここまで人の為に頑張れるのか。
言うは易しだが、そうそう出来る事ではないと、自分自身がやってみて肌で感じた。

そして、その後、我々は参加できなかった大分での2回目の署名活動に自費でカメラを設置した中江美則さんの姿があるのを知った。

ここも繋がっているのかと、また驚いた。

世間の犯罪被害者像とはどの様なものだろうか?
裁判前後の記者会見で司法に納得が行かず悔し涙を流している姿。
事件前の私もその程度のイメージしか持っていなかった。
自分が当事者になるはずがない世界。

しかし、当事者になって言えるのは、裁判や司法との闘いは、全ての闘いの内の一部でしかない。

犯罪被害者遺族への無知、無理解が当然の世界にあって、どの様にこれは二度と起こしてはいけない事だと社会に伝え続けるか。
手を変え品を変え。
私の様にモノローグに近いとしても。

中江さんと電話で話した時、事前のイメージよりマイルドなのが逆に恐ろしいくらい、懐っこい人だと思った。
根が過剰に保守的に出来ている私は、中江さんの事も可能な限り調べていた。
接点を持つ事を躊躇せざるを得ない様な噂めいた情報も沢山あった。

しかし、事件から10年を経てなお、カメラを設置すると言う、多分、当事者以外にはその意味が理解できない事を続けられている姿に、やはり会って話てみないと分からないと思った。

昨年末、会いに行った。

会って話さねば到底分からない事があった。
普段出会う事がほぼ無い、自分と目線が全く同じ190オーバーの長身の中江さんに不思議なシンパシーを感じた。
何度も繰り返し訴え続けて来たからだろう、訴える言葉には磨き抜かれた純米酒の様にキレがあった。

本郷さん、井上さん、中江さん、全員が繋がっている事を知り、当事者になるまでは一切知らなかった犯罪被害者遺族同士の静かな繋がりがある事を知った。

ずっと前に出て闘い続けて来た人達。

昨日から中江さんが東京に来ていた。
裁判記録破棄問題でまた新たな闘いも始まっているなか、本郷さんに会いに、我々に会いに、中江さんが来てくれた。


本郷さんのグリーフイベントに190オーバーの大男が2人並んで座っている。
中江さんと私である。
こうして繋がるのだなと思った。

   (後方真ん中の男性は中江さんを取材する産経新聞の記者さん)

夜、食事をし、中江さんと一緒にずっと頑張って来た、中江龍生さんも合流した。
親父のカリスマ性に振り回されているのではないかと言う、私の勝手なイメージはお門違いであった。
龍生さんは龍生さんで、妹とお腹にいた赤ちゃんの犠牲に覚悟と信念をもって活動をして来た事が話してみてすぐに分かった。

食事の席上、「覚悟を持って」と言う私の発言に本郷さんの目が明らかに変わるのが分かった。
ずっと覚悟を持って、全ての事にあたって来たのが、本郷さんのその目から分かった。

覚悟を持っている事。
Keepし続けている事。

先人達の目と言葉に震える様な時間を過ごした。

もし娘が生きていたら、出会う必要が無かった人達。
震える必要がなかった時間。

しかし、もしは無い事を皆知っている。

娘が出会わせてくれたなどと、柔な事を言うつもりはない。

しかし、覚悟とKeepはやがてどこかで出会うのだと知る事ができた夜であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?