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海外における親孝行と親不孝の事例

現代の国学
「やまとこころ」と近代理念の一致について 
第一章 人間と宗教と啓蒙の歴史


海外における親孝行と親不孝の事例
 
儒教の本場の中華では、孔子は親のためには嘘をつけと言った逸話がある。これを順守していたのならば、古の中華にもフェイクニュースが数多く存在していたことだろう。

そして、儒教では他の人よりも身内一族を愛せと説いていることも有名である。つまりは、儒教の本質とは嘘と権威主義であって、公平性を持たないことは恥や不名誉とされることではなく、それこそが道徳とされるわけだ。

こうした身内優先の立場論に対しては中華でも多くの批判があった。特に、「兼愛交利」という公平性と功利主義を唱えた墨家は、儒教は「博愛」ではなく身内だけを愛する不寛容な「偏愛」の思想だと非難していた。その実において、儒教とは現代における冷血冷笑なるニヒリズムと完全に同じ思想でしかないが、人類がこれに気付けば世界の諸問題は解決することだろう。

偏愛による親や身内への依怙贔屓が横行すれば、実体への認知は全て破壊される。有害過ぎる虚構の許容は、人間関係の中に露骨な嘘を認めることであって、騙しによって意思疎通を機能不全化させることでしかない。

実際に中華ではこのような嘘と偏愛が横行した結果として、皇帝の愛人の楊貴妃の一族が官位を独占し、国が乱れることになった。だが、儒教は一族による独裁を道徳として肯定するものであって、楊貴妃の一族はこれを遂行しただけなのだ。こうした混乱の結果として地方役人の安禄山が反乱を起こし、唐が崩壊したことはあまりにも有名な歴史である。

唐から時代は下るが、下関条約の清の全権大使であった李鴻章が伊藤博文から内政改革を勧められた時には、「皇帝陛下に自分如きが意見出来るわけがない」と述べた。この逸話は立憲君主国家である明治日本と専制王朝の清の対比が明確となった例であろう。権威主義社会においては、事実に基づいた意見を述べる口を持った頭は、胴体と別れる結果にしかならない。

こうした史実を考えると、親孝行とは結局は親の望むように金と地位を稼ぐことだと考えていた幼少期の私の直感は、何ら間違っていなかったと言える。歴史的に、親孝行とは時代劇の悪代官の如く汚職までして親のために金を稼ぐというような意味でしかなく、公共を放棄して権威を利することが親孝行の本質なのだ。

儒教の一族利益主義とアメリカの個人利益主義は大差あるものではないが、これらに基づいた行為こそが善なり徳なりであると持て囃せば公共は破壊される。だからこそ、中華の歴代の多くの王は儒教を弾圧していたし、最近では毛沢東が文化大革命という焚書坑儒を行ったことが記憶に新しい。だが、現代日本においてはどういうわけか論語程度も読んだことすらない者が、儒教を皆が肯定しているからという権威主義的な迎合によって肯定しているのが不思議なことだ。

さて、最近に焚書坑儒を行った毛沢東も親不孝者であった。毛沢東は地方の地主の家の生まれではあったが、親が周りに見栄を張るために借金までもしたことや、小作人に対して強権的に振舞っていたことを徹底的に批判していた。

毛沢東は、親不孝者であるが故に自らの祖先の文化を否定することも可能であったのだろう。実は、毛沢東の文化大革命の思想的前身には、「狂人日記」や「阿Q正伝」で有名な魯迅の思想が存在している。その魯迅は中華が変わるためには漢字を捨てることまでが必要だと、毛沢東よりもさらに過激な発言をしていた。

改革を断行しようとした志は立派であったのかも知れないが、全ての問題を同時に解決しようと試みることには無理があって、彼の改革は毛沢東主義という新たな宗教を作るだけに頓挫してしまった。そして、農本主義的な毛沢東主義は、実は機械動力を前提とした共産主義の理論とは全く異なっている。それが故に文化大革命は儒教を破壊することに完全に失敗して、単に「赤い儒教」を作り出す結果に終わったことも必然であったのかも知れない。

同じ共産主義者のゲバラも「機械の不足は勤労で補える」と唱えていたが、案の定に同様の失敗に終わった。生産量の増強を無視してイデオロギーの実現を目指すことは、「人民はパンを求めている」という格言を無視するだけのヴァーチャリズムであって、唯心論で問題解決が出来るという思い込みは共産主義を否定する共産教でしかなく、これはただの権威主義に過ぎないものだ。「腹は減っては戦は出来ぬ」というのは世界中にある格言であって、「武士は食わねど高楊枝」とは宗教観念そのものだろう。

産業革命以前の宗教は、最早全てが時代遅れであるが、共産主義が産業革命を否定する共産教に化けたことは、人類史における究極の皮肉だ。共産教を始めとした近代啓蒙思想以前の思想の殆どは、科学技術を否定するのだから殖産興業は不可能であって、奴隷制経済に走ること以外は何も出来るはずがない。

ゲバラも毛沢東も近代兵器の不足を戦略によって補った優れた将軍であったが、鎌と槌では産業革命を成し遂げることが不可能であって、機械動力の不足を手工業の労働力では補うことは不可能だ。マインドを実現するためにはシステムを重視しなければならないということが、彼等の失敗から得られる教訓であるだろう。「権力は銃口から生まれる」とは毛沢東の格言であるが、その銃を製造するための鉄は、近代においては機械動力によって造られていることを忘れてはならない。産業革命抜きの文化大革命では何も出来ないということを理解していた点において、貴族出身の共産主義者であるレーニンは慧眼であった。

とはいえ、毛沢東路線を変更した鄧小平を英雄視することも、只管に愚かしい。鄧小平は経済的実績を上げたが、反日運動を始めとした対外強硬をも復活させ、思想の自由の弾圧と民族主義を強化した。鄧小平政策は、その実において「赤い儒教」を更に儒教的に復古させてしまった反動でしかなかったのだ。

思想の自由への弾圧と経済発展と民族主義のセットはナチズムと瓜二つであり、現代中華を作り上げたのは毛沢東ではなくて鄧小平であると言えよう。彼は共産主義者というよりも、ヒトラーのような民族主義者でしかなかったのだ。

ここまででは、アジアの親不孝者の改革者の一例を紹介したが、ヨーロッパにおいても親不孝者が改革を試みるのが人間の歴史の常である。日本の明治維新は、プロイセン王国に影響を受けていることは有名だろう。プロイセン王国は国王による改革によって近代化を成し遂げ、国とは言えない小領土状態から一代で強国になりあがったヨーロッパの戦国の雄である。

プロイセン王国の建国者であるフリードリヒ大王は、幼少期は厳格で倹約家の親に質素倹約を旨とした苛烈な虐待を伴う教育を受けて育った。だが、彼は親の死によって王位に即位してからはそれなり以上に贅沢を嗜み、特に年間の食費の金額は現代の貨幣価値にして一億円を超えていた。

ルネサンス的な文化人であった大王には放蕩気質があったようで、フリードリヒ大王は親不孝者であったと言えよう。親不孝者の彼は、旧来の宗教の蒙昧に根差した統治を批判し、近代国家の成立について多くの業績がある。改革者として成功した織田信長や豊臣秀吉もそれなり以上に享楽を好んだが、毛沢東が失敗したのは贅沢を否定したことが原因であるかも知れない。

フリードリヒ大王はバルト海沿岸からベルリンまでの版図の国の王でありながら、ドイツ語を殆ど話せなかった。大王はドイツの言語や文化に対しては否定的であって、アカデミーの学者達の論文発表にはフランス語の使用を半ば強要し、「ドイツ文学論」という大王の著書はフランス語で書かれた皮肉な作品である。

享楽者のフリードリヒは、ドイツに見られる夢想的な現実感の欠如や硬直的な権威主義を大変なまでに嫌悪していたが、ギリシャ哲学やローマの文化を徹底的に愛好し、世俗的なイギリスやフランスの文化には好意的であった。ラテン的な性格を持っていた大王は陽気な皮肉屋であって、御涙頂戴のドイツ文学とは感性が合うはずもない。この文学や芸術への好みを好意的に評価するのであれば、彼は生得的に実体的感性と文化的知性と批判精神を持ち合わせる自由人であったと言える。

余談ではあるが、フリードリヒ大王も毛沢東も農作物の収量を上げるために雀を皆殺しに追い込むことを試みて、その結果として農作物の収量が圧倒的に下がったという経験を持っている。だが、毛沢東と違って自らの庭に限定して生態系実験を行った点において、大王は慎重であった。

フリードリヒ大王はその生涯の意思決定において冷酷なまでの決断力を発揮していたが、改革者は激情家であったとしても冷静さをも併せ持っておくべしということだろう。変革には破壊を伴うことが常だが、破壊は変革ではなく虚無だけを生み出すこともしばしばであるのだから。

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