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水曜日のカンパネラとPOEMと正欲

たとえば、街を歩くとします。
すると、いろんな情報が視界に飛び込んできます。

小説、正欲より

浅井リョウさんの『正欲』という小説を読んだことがあるだろうか。映画化もされているが、小説版とはメッセージの基軸が少しだけ違うように感じる。その小説の書き出しの文を引用した。

映画は様々な性質上、「つながり」に焦点が絞られている。佐々木と夏月の性欲と関係性を中心にストーリーが展開する。

小説版はもう少し鋭く「普通」を抉りにくる。何を軸に抉りにきているか、言葉にするとしたら「愛」だと思う。性愛であり、正愛である。

小説版単行本の解説で臨床心理士の東畑先生がフロイトの引用で書き始めていることにも頷ける。

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水曜日のカンパネラの話を期待していた人にとっては、意味のわからないスタートだと思う。

詩羽さんの武道館での語りを聴いた人。詩羽さんのフォトエッセイであるPOEMを読んで心が動いた人。聞けてない人にも、ナタリーさんの記事を置いておきます。

そんな優しかったり、苦しい経験をもっていたりする人たちと一緒に、詩羽さんが一人で戦わなくてもいいように、やっぱり少しでもいい社会にしていきたいなと思った。

そのためにまず、少しだけ『正欲』の先ほどの引用の続きを読んでほしい。

だけど、私は少しずつ気付いていきました。一見独立しているように見えていたメッセージは、そうではなかったということに。
世の中に溢れている情報はほぼすべて、小さな河川が合流を繰り返しながら大きな海を成すように、この世界全体がいつの間にか設定している大きなゴールへと収斂されていくことに。

その"大きなゴール"というものを端的に表現すると、「明日死なないこと」です。

小説、正欲より

明日死なないこと

「生きるぞ!みんな!」
真面目なMCは苦手だと何度も言いながら、苦しさも涙も目一杯の笑顔で隠そうとしながら、それでも武道館で詩羽さんが伝えたこと。

死んでやろうと思った。
いいことなんて一つもない、しわせなことなんて何もない、誰も私を愛していない。

POEM-詩羽フォトエッセイより

自叙伝でもあるフォトエッセイの冒頭部分と真逆のメッセージ。

そんなメッセージが言えるようになったのは「お前」が、お前が好きな人(詩羽)を愛してくれて、元気にしているから。だからお前はえらい。すごい。愛してる。

あの場に出て来れているかわからない、どん底まで自分を信じられなくなった「個」に向けてのメッセージ。

何度も「愛してる」と叫んだメッセージはちゃんと届いているだろうか。

届いたよ。ありがとう。

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小学生の時に家から逃げ出したあの時の自分。
中学生の時に友だちの家を転々としていた自分。
高校生の時に学校に行かなくなった自分。
大学生になって、Coccoを聴きながら「20歳になったら死のう」と友だちと約束した自分。
人間関係を全部リセットしたくなって、全員の連絡先を消した自分。
社会人2年目、完全にニートになったあの半年間の自分。

その時、その時の自分に届けたい。
まだ出会ってないあなたのことも、愛してくれる人がいるんだよ。
サンボマスターも、フィロソフィーのダンスも、そして水曜日のカンパネラも。

今でも「こう言ってほしいんだろうなー」「自己顕示欲満たしてほしいんだろうな」にちゃんと乗っかってあげるのがとても苦手だし、自分のことを分かった感じ出されるのも苦手。比較的、不適合なまま大人やってるし、音楽に救われてる。

ライブに行こう

音楽は偉大だな、と改めて思う。
受け取る側も受け取りやすいんだけど、表現する側にとっても大切なんだなって詩羽さんを見て思った。そういえば、ちゃんみなさんを見たときも思った。

絵だって文章だってダンスだってもちろん言葉だって、何だっていいんだろうけど。
普段押し込められてボロボロになった人にとって、表現の場があるってことは大切なんだと思う。

だからできれば、X(Twitter)やInstagramは思ったように表現できる場であってほしかった。
でも「いいね」が可視化されて、正論はどれだけの人数がぶつけても当然みたいな顔されて、読解力が低いのか恣意的に文脈変えてるのかわかんない意味わからない言葉まで投げつけられて。

そもそも人との関わり方が苦手なタイプだと、ネット上だって上手くいくかわからない恐怖もある。

そんな人たちに言いたい。ライブって最高だよ!
思いっきり笑って、思いっきり泣いて、拳かかげて、飛んで跳ねて、思いっきり声出して、自分なりのダンスを踊って。
よっぽど周りに迷惑かけなきゃ、誰も自分なんて気にしてない空間。最高だよ!

1回、ライブに行ってみよう。そのためにも、生きよう。

水曜日のカンパネラ、武道館

前半でナタリーさんの記事を載せてしまったので、ここではオフィシャルレポートを。

ちびっ子たちとのコール&レスポンスも、舞台にファンがあがるという機会も、もしかしたら誰かの明日に繋がるかもしれないなと思った。

9歳のタイミングで、好きな歌手と一緒に武道館のセンターステージで声援を浴びる経験は、彼女に何を残すのだろう。
一生懸命呼びかけたちびっ子の声が、画面の向こう側にいたはずの詩羽ちゃんに届いた瞬間は、どんな感情をもたらすのだろう。

明日フェスの観覧でみた、漫画から飛び出してきたみたいにとびきり可愛い詩羽ちゃんは、ちゃんと次にバトンを繋いでいた。苦しんできた詩羽ちゃんからの、精一杯の愛の連鎖だった。そんな武道館だった。

めちゃくちゃ蛇足だけど、桃太郎の朗読もとても良かった。声のお仕事が増えてもいいし、保育園の先生とかやっても素敵だと思う。作詞とかもじゃんじゃんやってみてほしい。届くから、きっと。

コムアイの方がとか、詩羽の方がとか、そんな切ないこと言うなよって言ってた。
これ、入ってきた側が言えるの本当にすごいなと思う。ここでも大好きになった。

金剛力士像も、たまものまえも、七福神も、招き猫も、全部良かった。後はやっぱりキャロライナ、勝手に思い入れがあって最高だった。本当に声がいいよね。

そして、正欲

「それがムカつくっつってんだよ!」
〜中略〜
「もうほっといてくれ、お願いだから」

小説、正欲より

『正欲』の印象的なワンシーンで、冒頭引用した独白とは別の、でも同じような生きづらさを抱えている大学生「大也」と、同じ大学に通う「八重子」の激しい言い合いのシーン。

ここまでのnoteも、大也に言わせれば「もうほっといてくれ、お願いだから」という内容だ。
尖っていた時の自分でもそう思う。

それでも。
POEMで、武道館で、伝えたかった詩羽さんの想いが届いてほしいなと思う。届いてほしいと思うこと自体が自分のエゴだとしても。

あなたの「普通」が誰かにとっての普通じゃないからといって、生きづらさを感じる理由にならないように。
あなたの「好き」が誰かにとっての好きじゃないからといって、生きづらさを感じる理由にならないように。

詩羽さんが先頭で戦いたいと言っていた内容は、小説版『正欲』のテーマでもあるなと感じた。
詩羽さんが1人で戦ってると思わなくてすむように、自分も自分の立場でよりよい社会を目指していきたいなと思った。

声も、ピアスも、顔も、髪型も、動作も、服装も、全部全部、愛だよ。

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