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おかげさまで㊗️30年

1994年にひょんなことから小店を持ち
気づけば30年 
半導体総合商社のOLから
なぜかスナックのママに  
お店がやりた〜いとか、
独立開業したいなど、
頭の片隅にもよぎらなかった当時の私
ラウンジの雇われママを
いきがかり上引き受けた事から
そのラウンジで知り合った不動産業者の方が、『飯いこ』と誘っていただき、お食事に
当時、
大阪市北区堂山町辺りには、今とは全く違って
料亭や小料理、割烹などが数軒有りました。
その中の料亭へ
待合せ時間が予約よりかなり早かったので
『チョット用事してから行くわ〜』と
お知り合いのスナックに
開店準備中でした!
そこで、お手洗いをお借りして
私は、お客様が用事を済ませて戻られるまで、
そのお店待つことになりました
可愛い綺麗なお店
ママさんがターコイズの色が好きなので
それに合わせて設計してもらったとのこと
8坪のお店半円のカウンターに椅子が11席
ボトル棚は壁に薄く又天井まで届くガラスの扉
1本ずつがオブジェの様に並んでいて
素敵だなぁ〜と思って待っていました。
まだ、ピンクの公衆電話が
お店の中にデーンとあった時代

ピンクの公衆電話

その少し立ち寄ったお店

そのお店をまさか、
自分が営むことになるとは夢にも思わなかった。1993年の12月21日に契約して、
来月から家賃が発生すると言われ、
それは、大変だぁ!となり、
年明けの大安の日はいつ?1月6日
では、その日にオープンとなりました。
それから年末迄は、いつ寝ていつ起きたか分からないくらいに店に居て準備をしました。

急遽作成した案内状は、30枚
手書きして、深夜の大阪駅の西口から近くにあった旧郵政公社のビルに走って行きました。
当時は、年賀状を出す人が多く、
夜中の郵便局は、年賀状にスタンプを押している会社員の姿も見られました、
皆んな遅くまでお疲れさまーと思ったのを覚えてます。
そんな1993年12月の大晦日でした。

休み明けという事もあり
カラオケのテレビが間に合わず
1994年1月6日にオープンして
あっと、いう間の30年‼️

これまでのお客様への感謝の気持ちを込めて
イベントを開催したいと思います。

㊗️30周年 サックス🎷の音色で乾杯

お食事とドリンクをご用意して、皆さまのご来店お待ちしております。

北新地に1998年に引越しました。
それから、ずーっと同じ場所で営業
お店は、今のお隣のお店と、今のお店の2軒を1990年まで
その後は現在のお店のみにしました。
ビルの名前は3回変わりましたが
Y’s(ワイズ)は、ずっと一緒です。
そんな
小さなお店での開催ですが、
アットホームな
お祝いの会になればと考えております。

オードブルの中身を色々と考え
33年前からの常連客のシェフにお手伝いをしていただきます。
こちらの方も
矢沢永吉さんに、ステーキを焼いておだしした方
お気に入りのお店だった様です。
サックスの加藤雄一郎さんも
EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2011「STILL ROCKIN' ~走り抜けて・・・~」
出演されている方
今回、どちらも快く引き受けてくださいました。
本当に感謝です。
ありがとうございます♪

まだ、若干お席がございます。
申込・問合せは、Y’s(ワイズ)公式LINE
https://lin.ee/28CdNux
締切は12/31迄 


30年間の出来事を少し振り返りました

1994年出来事の一部

ひたすら仕事をし続けて
毎日、睡眠4時間だったかなぁ
若いってすごいな
今だったら、体が動かない

1995年の出来事の一部

全国から神戸に
人人人が応援に駆けつけていただいた
技術の結集 
今の様に、何も整備されていない状況の震災の対応 正に 人と人、知恵の結集、助け合い
みんな作業して、ドロドロのまま
阪神地区の災害現場から
そのまま電車に乗ってやっと大阪に着いて
当店があった、大阪市北区の堂山町
近くの
ニュージャパンや大東洋で汗を流して
ビールを1杯飲んで帰る職人さん達
カッコよかった いい人にたくさん出逢えた
みんな辛い苦しい現場から戻った方ばかりだから
黙して語らず 
おかえり〜お疲れ様という言葉を
自然に交わした場所でした。

1996年の出来事一部


1998年ごろ


続きは又(^^)

皆さま、
良い新年をお迎えください


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