吉田邸との出会い

吉田寮に引っ越す前、建て替えた家に住み始めて2年経ったころのこと。
出身大学の京都支部から、例会の案内が届いた。京都支部を発足させた吉田孝次郎氏(※)の町家に、舞妓と芸妓を招いて京都の文化に浸ってみる企画だという。
それまで例会には参加してこなかったが、京都に住みながら京町家や京都の文化に縁遠い暮らしをしていた私は参加することにした。

夕暮れどきの町家。打ち水をされた表をくぐると、迎えの間の奥に坪庭が見える。そこには美しく手入れされた、初めて観る空間が広がっていた。今宵のためにしつらえられた陰影の妙に、息を呑んだ。
「日本の家」を知らなかった私は、新しい文化に出会った感覚になった。戦後、京町家が壊されていくなか、孝次郎氏は京町家再生の先駆者でもあった。

中の間と奥の間の襖が取り払って作られた広間にはお膳が並べられ、場が和んだ頃「きれいどころ」登場の声が掛かる。そこに舞妓二人と芸妓一人が現れた。
控えめで薄暗い町家が彼女たちを引き立てていた。厚塗りの化粧からは素顔の想像もつかないが、酌をする彼女らの素手は艶かしく、男性だけでなく女性も高揚するほどであった。

孝次郎氏、次は押入れの襖を開けて急勾配の階段を見せた。案内した2階には畳部屋を客席に、板の間を舞台に見立てた小劇場が設えてあった。芸妓の三味線に合わせて舞妓が踊る。
一昔前、京都にはハレとケの世界を併せ持つ装置として機能があったのだ。

今も続くマンション建設。京都の建設ラッシュはバブル崩壊後しばらくしてから始まり、歯抜けになった空き地がコインパーキングに変わっていった。吉田邸に感銘を受けていた頃、壊れゆく町家を再生するべく「京町家再生研究会」が発足。京町家の保全・研究・調査に乗り出す活動が始まる。

それまでただの「古家」扱いだった町家は、ブームによりブランド化されていく。町家本来の住まいとしての機能や構造を無視した店舗改装が増え、それを危惧した再生研は「京町家作事組」も結成。
彼らとの繋がりを、後に吉田寮の改修診断やメンテナンス指導、見積もりの依頼に活かすこととなる。


吉田孝次郎 https://www.kyoto-np.co.jp/info/sofia/20140704_5.html
京町家再生研究会 http://www.kyomachiya.net/saisei/sosiki/index.htm

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