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これまでの一般的な家族での暮らしから学生寮の暮らしに順応するのは、簡単ではなかった。
吉田寮は寮生が戻ってくる夕方から、にわかに賑やかになる。

寮食堂の営業が閉鎖されてから、寮生は自炊を余儀なくされていた。
炊事場として設けられたのは、各廊下の真ん中にある洗面台の横に2口のガスコンロを2台置くという簡易なもの。学食や外食で済ませる寮生が多かったが、一定の寮生は少しでも安価で済ませるために炊事場を使っていた。

吉田寮には木造ゆえの仕掛けや決まりがいくつも設けられていて、火災警報器もその一つだった。各廊下2~3ヶ所に取り付けられた警報器は、夜になると頻繁に鳴らされる。

警報器が寮内に鳴り響くと、受付付近に居合わせた寮生が操作板を見て火元を確認して、発生場所を放送で知らせる。
火元近くの寮生が状況を確認して受付まで来て報告をするのだが、ほとんどの場合、原因は料理の煙だ。
警報器を鳴らした本人は「料理の煙です」と侘びる放送を流す。
この警報機音が毎晩鳴り響く。
22時には就寝しようとしていた私たちは、たびたび睡眠を妨害されるのだった。

騒音は他にもある。
管理棟から西側にある寮食堂は別棟だが北寮とは廊下で繋がっており、最も管理棟寄りの我らが「北寮21号」は、連日のライブや芝居による騒音がストレートに響いてくる。
いったい何時まで続くのか……。寮生に聞いてみても「音源を出す本人に聞いて」と言われる。寮自治会が貸しているスペースなのに、個人的に当事者と交渉しろということらしい。
利用者に理解を求めに向かっても、利用者は連日変わるので埒が明かなかった。

1階の大部屋は寮生や寮外生が明け方まで飲んで騒ぐし、休日なら朝はゆっくり寝ていられるかというと、北側にある広大なテニスコートから大勢の叫び声が響く。
幸い子供たちには影響がない様子だったが、連れ合いは日が経つにつれて精神状態が不安定になっていった。

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