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【雑記】合成音声、人形遣いと人形の関係

 どうも霜月です。ヘッダーイラストほどシリアスな話じゃありません。どうぞ落ち着いて。

 朝ドラ「ブギウギ」を見ていて、ふとタイトルのようなことを感じた。

 先生とワテは人形づかいと人形みたいな関係やと思ってます。それがよろしいんです。ワテはいつまでも、先生の最高の人形でおりたかったんです。ワテはお客さんの前に、先生にとっての最高の歌手でおりたいんです。だけど、そうでないんは、ワテが一番ようわかってます。

連続テレビ小説「ブギウギ」第125話より。

ワテ:福来スズ子。主人公。歌手。服部の曲を歌う。
先生:服部善一。作曲家。スズ子に曲を提供する。

 合成音声キャラ。ボカロもボイロもゆっくりも関係なく、初音ミクも結月ゆかりも重音テトもゆっくりもゆっくり魔理沙も同じように。というかキャラクターを用いる全創作者にも当てはまるかも。

 投稿者という人形遣いがPCという舞台上で作品を作る。そこで踊るキャラクターという人形が喋り、歌い、表情を変え、感情を持つ。

 人形はあくまで「生きているように見える」だけで人形自体が「生きている」わけじゃない。人形遣いが息を吹き込むだけ。人形に口無し。非常に近しいのではないだろうか。

 ただそれだけ。

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