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今日も日記を書きます

 きっと明日も書くのでしょう。

 「オタクが日記書いてるのを見て日記書き始めた」って言ってたオタクの日記の中で「僕の日記を読んで友人が日記を書き始めた(意訳)」という話が出てきてHAPPYな気持ちになりました。
 僕も人の日記を読んで日記を書き始めたクチなので、こう日記のバトン(バトン(古の記憶)のことではない)が繋がっていく様を見ると嬉しくなってしまいます。

 人の日記を読むということは単純に自分の体験し得ない人生を垣間見る貴重な機会なのでそれだけで非常に面白いです。
 この日記の中で再三言っている「お前らも日記を書け」というのはすなわち「お前の人生を覗き見させろ」という話なんですね。

 ただ、最近は日記を書くということ自体にそれなりにポジティブな効果があるような気がしていて、そう感じた側面の一つの話をしようと思います。


 要約すると「自分が何を考えているのかわかりやすくなる」という話です。

 日記を人に見える形で書き始めたことで自分の考えを(最低限)人に伝わる文章にする必要が出てきました。いわゆる言語化というやつですね。
 大なり小なり言語化を続けてきた経験から、「言語化には2段階存在する」という持論が生まれました。

  1. 自分の考えていることを自分が理解できるようにする自から自への言語化

  2. 自分が理解した自分の考えていることを相手も理解できるようにする自から他への言語化

 という2段階です。
 おそらく多くの方は無意識かつ自然にこれらを行えているのかもしれません。
 ただ「自分の考えていることを相手に伝えるのが苦手」と思っている人の助け(というとやや大袈裟ですが)になったらいいなと思って書いています。

 自分の考えが相手に伝わらないことって生きている限り付き纏う悩みだと思っているのですが、その伝わらない原因の一つに「そもそも自分が何を伝えたいのかちゃんとわかっていない」があるのではないか?と睨んでいます。(少なくとも僕はそうでした)
 人に伝えるための言語化、文章を書くという行為は上記の言語化の2段階目「自から他への言語化」であり、自分が自分の考えていることを理解するための第1段階が済んでいないとなかなか相手に伝わる文章にはなりません。
 自分の考えを人に伝える前に、まずは「自分が読んで理解するための文章を自分に向けて書く」というステップを踏むことで「自分が何を考えていたのか」「自分が何を伝えたかったのか」が明確になりわかりやすい文章が書けるようになるのではないか?という提案がこの記事の肝です。

 自分で日記を書いていると書き進めていく中で「あれ?この話さっきの話と矛盾してない?」とか「今気付いたけどこの話って前にしたあの話と関係ある?」とか文章にして初めて自分の考えに対して気付くことってたくさんあるんですよね。
 そんなことを繰り返している内に「人に伝えるための文章を書く中で自分で自分の考えに気付きを得るというのは自分で自分に自分の考えを文章で伝えているからなのでは?」と思い至ったわけです。
 「人に説明することが自分の理解に繋がる」なんてよく言われたりしますが、その前段階として「自分で自分に説明して理解させる」という過程を踏むことで相手に伝えるべき情報が明確になり、相手への説明もスムーズになると思います。


 なんだか自分がたくさん出てきて話がよくわからなくなりそうなので一旦締めようと思います。
 今回言いたいことは「自分の考えが相手に伝わらないのは伝え方の問題よりも自分が何を伝えたいのかわからなくなっているからなのではないか?」「自分から自分への言語化という視点を持つことで自分の考えというものがよりわかりやすくなる」という2点でした。

 本当はこの「自から自への言語化」に今流行りのアンガーマネジメント的な話も絡んでいたりするのですがそれはまた次の機会に。

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