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NYに引っ越した話#5 最後

NYに発つまでの1週間ほどは実家で静かに過ごした。同県内に住んでいる姉2人とご飯に行ったり、実家で全員で集まったりして、皆暖かく送り出してくれた。

当時は関西国際空港からデルタでNYへの直行便があったので、確かそれにしたと思う。13時間ほどのフライトでNYに到着した私は緊張と興奮でクタクタだった。3月末のNYはまだ雪が残って降り、日本ではあまり感じない種類の突き刺さる様な寒さに驚いた。

最初に住む場所は日本人が経営しているシェアハウスの一室だった。イーストハーレムという地域にあり、値段も高くなく、(確か10畳くらいの広さで、光熱費込みで$650くらいだったと思う)日本人とシェアできるので何かと安心かと思い決めた。イーストハーレムはいわゆる黒人街で、プロジェクト(低所得者用住居、団地の様に何棟も集合していることが多い)も多くあり、にゲットーに入る地域だが、日本人も多く、年々治安が安定してきていると聞いていた。実際に汚くてうるさかったけど、あまり怖い思いはしなかった。家賃を節約するために後に来た友人と同室で3ヶ月ほど暮らしたので、それも心強かった。

着いてインターンが始まる数日間は銀行口座を開設したり、ソーシャルセキュリティー(マイナンバーの様なもの)を取りに行ったり、観光したりして過ごした。幸運にも住んでいるシェアハウスには多くの日本人学生が住んでいて、皆どちらかというとNYに来て間も無く、同じ様な環境だったので、すぐに仲良くなった。1週間後には私の友人も到着し、よく皆で出かけたり、ご飯を食べたりしていた。当時は皆本当にお金がなかったけど、全てが新鮮で刺激的で楽しかった。

インターン先は思った様な素敵な職場でなく、ビジネスを学ぶという感じではなくがっかりした。今考えると安くで人員を確保できる手段としてビザを発行していたのかと納得。ただ、学生ビザだとソーシャルセキュリティーナンバーも取ることはできないし(これがあるのとないのでは社会的に大きな違いが出る)、かなり拙い英語でも一応お金は少しもらえたので、これでも良かったと思っている。

”NYに住んで見たい!”という思いだけで始まったNY生活は1年半で終わるつもりだったにも関わらず、2022年の春には丸11年になる。約11年の間にビザの問題、金銭面の問題、言語、文化の壁、恋人との遠距離など色々帰る理由はあったけど、NYが好きで、NYに残る選択をした。日々の生活で不満も不便あるし、隣の芝は青く見えるが、NYの活気や、多人種、多文化ゆえの自由さが心地良い。なんとか今は会社に勤め、ブルックリンの小さいアパートでつつましくではあるが、一人暮らしできているので、幸せなことだと思う。

最近は海外に出る若い日本人が少なくなったとよく聞く。日本に帰る度に、日本人の標準以外、またはルールから少しでもはみ出ると、すごく変な目で見られることが多く、年々息苦しさを感じていたので、その事実にさみしい思いをしている。その一方で(コロナ前は)日本に住む海外の方が劇的に増えたと思うし、最近はよく”多様性”という言葉も聞くので、少しは変わって来ているのかなとも期待している。来月コロナ以来、2年ぶりに帰省できるので、変化を探してみようと思う。

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