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#アヤワスカ #サイケデリック #一人旅

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  • アヤワスカ旅

    私のNYとペルーでのアヤワスカ体験を綴った記録です。

最近の記事

何度目かのアヤワスカセレモニー in NY #5

しばらくすると目が開けていられなくなくなるが、蝋燭の光に集中し、目を開けようと努力する。必死にこの場にとどまろうとするが、すぐに自分の世界に入っていきそうになる。ソングブックもぼやけて全く読めない。行き来しながらも、ほぼ無意識にマラカだけは振り続け、吐き気を覚えながらも”マラカは現世にとどまらせてくれる楽器なんだ!”と静かに感動していた。しばらくその葛藤をしていると、徐々に気持ち悪さが抜けてくると同時に少しづつふわっとした幸福感を感じる様になる。 濃い黒紫が渦巻いたような世

    • グアテマラ一人旅 #0

      さて、次はどこに行こう。と世界地図を眺めながら妄想に耽る時間が増えてきて、やっとまとまった休みが取れる目安がついた。 一人旅はコロナ以降なので、3年ぶりくらいになる。最後はペルーのイキトスというアマゾン川のある街とトレッキングの聖地という高度の高いワラスという街だった。今までで一番と言って良いくらい楽しかった旅となり、次はペルーの南部とボリビアのウユニ塩湖!と思っていた矢先にコロナになり、あっという間に3年も経ってしまった。 ボリビアへの旅は諦めていないが、今回は10日ほど

      • 何度目かのアヤワスカセレモニー in NY #4

        数あるソングブックから、指定された曲をタブレットで探す。 最近英語やスペイン語の曲より、より難しい、ポルトガル語の曲を演奏することが多くなっていた。ここのサークルは伝統的なセレモニーと違い、全員で歌に参加する。 聞いたことのない曲が始まり、必死で歌詞を読もうとするも全くわからず、途中から完全に諦める。手には友人にもらったメキシコ産のマカラを持ち、リズムに合わせて振りながら、少しでも参加しようとする。 セレモニー前にシャーマンがいつも言う"Participate"(参加する

        • 何度目かのアヤワスカセレモニー in NY #3

          グラスを受け取ると、いつものようにシャーマンが私の目を覗き込む。 眼光が鋭く、全てが見透かされているような気になり、いつも緊張する。 グラスに1/3くらいの量を注がれ、その場で一気に飲み干す。 味と匂いに顔をしかめながら、グラスを掲げお礼をする。 静かに席に戻り、目を閉じる。 なんとも言えない嫌な味が口まとわりついているが、アヤワスカの効果を軽減させないためにも水を飲むことは我慢する。 いつもは30−40人の参加者がいるが、今回は少なく、15人ほどしかいなかったので、い

        何度目かのアヤワスカセレモニー in NY #5

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        • アヤワスカ旅
          7本

        記事

          何度めかのアヤワスカセレモニーin NY #2

          人数の少ない今回は一つの大きなサークルになって皆で席作った。 いつも通り男性陣、女性陣と別れ、ベテラン勢はこぞってふかふかそうな座椅子にブランケットやクッションで座り心地の良さそうなスペースを作っていた。 私は友人たちとシャーマンの左隣に座る。いつもなら常連の女性たちが座っている場所だ。 友人のTは毎回参加しており、設営なども手伝っているので、名指しでシャーマンの隣に指名された。その横にもう一人の友人、その横に私と席を作った。これだけ人が少ない中でもシャーマンに近く目立つ席

          何度めかのアヤワスカセレモニーin NY #2

          何度めかのアヤワスカセレモニー #1

          これで何回めのアヤワスカセレモニーだろう。初めてのセレモニー体験から数年、コロナの影響で丸一年ぶり。今回の旅は私に何を見せてくれるだろう。 セレモニーの2週間前に誕生日だった為、お祝いなどしてもらう約束があったので、食事制限は実質5日くらいしかできなかった。ただ、普段からあまり赤いお肉を食べないので、お酒、コーヒー、砂糖以外は特にいつもの食事と変わらず、あまりストレスなく過ごすことができた。 物価の上昇が著しいNY、今回の参加費が前回より$100ほど上がっていた。正直何度

          何度めかのアヤワスカセレモニー #1

          ふとした疑問

          飲むのが大好きだ。大人数の飲み会も、少人数も、一人飲みも全て好き。誘われたらできるだけ参加するし、定期的に会う飲み友達も少なくない人数いる。 多くの飲みの席の経験から、何度か言われた言葉で、どうにも腑に落ちないものがある。 それは、私が皆より先に帰ろうとした時の言い訳で『明日早いんです』『明日あるから』と言った時に、『俺もだよ』『明日は皆んなあるよ』と返された時だ。 しかも少しキレ気味。 私の記憶ではこれは大体日本人のおじさんから言われる。 きっと女性要因を減らしたくな

          ふとした疑問

          旅をする度に人の優しさに触れる。 私も人に優しくありたいと思っている。 道で物を落とした人がいれば走って追いかける。階段でスーツケースやベビーカーを運んでいる人がいたら手伝う。エレベーターのドアをあけて待つ。ありがとうと笑顔で言う。 赤の他人への優しさは簡単だ。個人的感情がないから。 更に、優しさを与える代わりに満足感を得られる。それは双方にとっても良い影響を与えていることが多いだろう。 一方で、身近にいる人に対してはそこまで優しくできない。 時には意地悪にもなる。 頻

          NYに引っ越した話#5 最後

          NYに発つまでの1週間ほどは実家で静かに過ごした。同県内に住んでいる姉2人とご飯に行ったり、実家で全員で集まったりして、皆暖かく送り出してくれた。 当時は関西国際空港からデルタでNYへの直行便があったので、確かそれにしたと思う。13時間ほどのフライトでNYに到着した私は緊張と興奮でクタクタだった。3月末のNYはまだ雪が残って降り、日本ではあまり感じない種類の突き刺さる様な寒さに驚いた。 最初に住む場所は日本人が経営しているシェアハウスの一室だった。イーストハーレムという地

          NYに引っ越した話#5 最後

          NYに引っ越した話#4

          同居人のカップルの彼氏の方と私が家にいて、私は起きたばかりだった午後3時頃に地震が起こった。古いマンションのだったので、今までに体験したことないほどの大きい揺れがかなり長く続き、普段お世辞にも頼り甲斐があるとは言えない彼だったが、その時ばかりは、私に外に出るようにと促してくれた。3階の部屋から下に降りている間にさらに揺れが大きくなり、恐怖を感じ足がもつれた。かなり長い間揺れていて、マンションを出た後もまだ揺れていて、電柱が大きく揺れていた光景は目に焼き付いている。 その後す

          NYに引っ越した話#4

          NYに引っ越した話#3

          彼に別れを告げることはとても辛かったし、打算的だが、仕事を辞めるまでの3ヶ月間住む場所もなくなる事もあり、なかなか決心がつかなかった。 それでもやはり一度冷めてしまった気持ちのまま彼からの好意を感じることがとても辛かったし、そんな私の態度から彼も何か感じていたと思う。ある二日酔いの夜、意を決し、別れたいと告げた。彼は静かに”わかった”と言ってくれた。図々しく、残酷にも私はその後も退職して、実家に帰るまでの3ヶ月間このまま住まわせて欲しいと頼んだ。 出会ってからの3年半、私

          NYに引っ越した話#3

          NYに引っ越した話#2

          上京と同時にその時付き合っていた年上の彼氏と同棲していた私は、当然結婚も意識し始めていたが、まだ若く尖っていたのか結婚に興味がなく、彼との生活にも変化を求めていた。 まず彼に1年ほどNYに留学したい相談すると、彼は一瞬の間をあけて「うん、いっておいで」と即答してくれた。今考えても本当に心の広い優しい人だったと思う。今でも時々彼は私の突然の留学宣言をどう思っていたのかと想像することがある。 そこで決心を固めてからの行動は本当に早かった。会社に辞表を出し、留学について調べ始め

          NYに引っ越した話#2

          NYに引っ越した話#1

          私はNY在住の30代後半に差し掛かった女性です。NYに移り住み早10年が経ち、Noteを始めたことをきっかけに、その時を振り返ってみようと思います。 最初はまさか10年も住むことになるとは全く思っていなかったNY生活は2011年のまだ雪が残る春初に始まりました。 大学在学中に10ヶ月ほどカナダの田舎町に留学させてもらい、その間に初めてNYを訪れた。音楽が大好きで、洋楽をよく聞いていたので、よくPVなんかに出てくるNYに対して大きな憧れがあり、最初の旅行はカナダ内でなくNY

          NYに引っ越した話#1

          次の日

          36時間以上起きていた私は、ぐっすり眠り翌日スッキリと目覚めた。 昨日の不思議な体験を思い出しながら、ニヤニヤする。不思議とずっと幸福感があり、とても穏やかな気分で、色々なことに感謝する気持ちで一杯だった。ああ、これが言われたGroundedかぁと思った。 残念ながら、この穏やかな気持ちは数日しか続かなかった。日常に戻り、仕事、生活に追われ始めると、また以前のようにすぐイライラするようになったし、人に対して意地悪な感情も生まれるようになった。ただ、以前と違うのは、あの時に感

          次の日

          スウェットロッジ

          セレモニーが終わった頃はもう日がかなり高いところに上がっていた。結構な疲労感を感じながらも、エネルギーがみなぎっている感覚だった。 これからスウェットロッジをするという。 スウェットロッジとは先住民の儀式の一つで木の骨組みに布をかけて燃やした石を中に入れ、石に水をかけるといる、いわゆるサウナだ。色々な国や部族がいるが、色々な形で共通する文化があるんだなぁ、なんて感心した。 轟々と燃えた焚き火の横にロッジが用意されていた。女性から並び、入る前に跪き頭を地面につき”we a

          スウェットロッジ

          セレモニー#2

          2階のベッドを予約していた私たちはぐっすり眠ることができて、起きたのが11:30頃だった。友人はベッドの中で仏教の本を読んでいた。 この家は相当広い庭があり、奥に行くと、木々が茂ったキャンプサイトもある。おそらくミュージシャンの家で、スタジオのような設備と楽器が所々にある。庭でお茶を飲みながら昨日を振り返る。 12:30頃食事の合図があった。24時間何も食べていないので、本当にウキウキとキッチンに行く。 その場にいた10人くらいの人たちと手を繋ぎ輪をを作る。食べ物への感

          セレモニー#2