人に好かれながら好きな人の気持ちを想像する
最近自分に好意を寄せてくれていそうな人がいる。
その人は「あんなことをした」「こんなことをした」と連絡をくれて、「面白そう」と返すと「一緒に行こう」という返信をくれる。
その度にデジャブのような感覚になる。
私が1年越しに好きな人にやっていることと、それに対する彼の反応と私の返信は酷似しているのだ。
映画が好きな彼に、面白い映画や、イベントの情報を送りつける、彼は「面白そうだ」と返す「行こう」と誘うと「行こう!」とだけ来る。明るく、必ず来る。
実際に行けるものもあるけど、ほとんどは忙しいからいけないみたいだ。でも、まるで行けないわけではなくて、時には実現する。それが1年続いている。
私も好意を寄せてくれているらしき男性からの美術館への誘いに「行こう!」とだけ返している。
その心は、面白いか面白くないかわからないけど、断るまでもないし、行ったら面白いかもしれないから「行こう!」だ。
その人が誘ってくれなければ行かないけど、「その人」が誘ってくれたから行くわけでもない。時間があれば、行ったらつまらないということはないだろうし、色々とちりつもの足し算が「行こう!」の明るさに含まれている。
無視をしないということ、誘いに乗るということは「好意」とは違う。
けど、その先にまるで恋愛感情の生まれる可能性がないかといえば、それもまた違う。「あるかもしれないけど、今はない」が近くて、「あなたの好意には気づいているから、ちょっとだけ待って、私のタイミングで結論出させて」という思いがある。
もし私の好きな人の、私への感情もこれに近いのであれば色々と納得は行く。
女子会では散々、様々な言動から「脈があるかないか」を判断する。
それで行くと。「そんなに忙しい人が必ず返信をくれて、月に1回も会えているんだから、それは脈があるよ」という人と「その人はモテるだろうし、そんなに長い間何もないなんて脈がないよ」という人もいる。
でも、なんだか私はそういう言動から算出されたものに信頼を置けなかった。
ただ実際に「恋に落ちるほど好きではないけど、自分に好意を寄せてくれているのはわかるし、色々とありがたい存在ではある」人が登場したことによって想像できたことはある。
それからもし私の好きな人が私に近い思考回路なのだとしたら、「恋に落ちる」ことを過剰に信じている可能性があり、なので「ありがたい人」が恋人に発展する可能性が低いとも考えられる。(いままでの恋愛の話を聞いていると少しそんな感じがする)
30歳にもなって、恋愛を想像でしか進められなくて本当にダサくて悔しいけど、面白い体験なので残しておきます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?