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第2回〜あるのは果たして希望か〜

「アナタが家を出て行くと淋しくなるわねぇ。私の話し相手がいなくなっちゃうわ。」

母は父と離婚してから、彼女なりに息子2人を必死に育ててきた。父は時々この家へ顔を出し、3人に向かってあれこれ厳しい事を言って帰っていったので、僕はまるで子供3人で時間を過ごしてきた様な感覚を抱いている。ただそれは、息子たちが精神的な圧力に耐えられるように与えた緩衝材のような役割を、母が全うした結果だったのかもしれない。

「お酒はバレーボールの帰りだけにしてよ、家で飲む機会が増えてからおかずがほとんど居酒屋みたいだ。」
僕は、居酒屋で出るおつまみを真似て作られたおかずを食べながらそう言った。

「でも、もうこれも食べられなくなるのよ?アナタ引越しは来週だったわね?寮に入って2日後に入社式なんて、全然休めないでしょう。」
「うん、でもきっと向こうで何日も休んだところでやることがないと思うんだ。」
「これからたくさんの休日を過ごすのに、もうそんなこと言って。」

—ちゃんとやっていけるのかしら。と言った母は、テレビの画面に映る何度も観たことのあるアニメ映画を眺めていた。

来週から新生活が始まる。会社までは実家から2時間。通える距離だから入寮は任せるよ、と人事担当者に言われていた。しかし僕は、ここから出れば少しでも自由になれると入寮を即決した。母には強制だと伝えていた。
20余年の間、狭い家で暮らしてきたことが苦であったかと問われても、そうとは思わない。ただ、自分1人で生きたいという気持ちは年々強まっていた。その念願が叶う今、僕はここに残された2人の未来を少しだけ案じている。

「コーシは?引っ越すまでに顔合わせることあるのかなぁ。」
「あの子はもう何考えてるか分からないわ。朝起きて寝顔がここにあるだけで安心するようになっちゃったわよ。」
「そんなこと許しちゃダメだよ。それにここはどうすることになったの?お父さん戻ってくるんでしょ?出て行かせるようなこと言ってたよ?」
「んー…けどどうしろって言うのよ私に。」

母は少しぶっきらぼうに言った。相変わらず視線はテレビから外れない。

(こんな調子だからこの人たちと居たくないんだよな。)
僕は人生に無気力な2人を見ていられなかったし、一緒に居たくなかった。蔓延したオーラに引きずり込まれる気がしたからだ。

父親は離婚した母をここへ住まわせ、当人は質素な生活をしている。僕がここを出るタイミングで、お荷物の2人を外に追いやろうとしているらしい。
「家族だから見捨てられないよ。」と僕が拒んだ時も、「お前が背負おうとしても、あいつらは感謝しないし蝕まれてくだけだぞ。お前は新しい家族を作るために生きろ」と言った。なんて冷徹だ、と思った。けれど、自分自身の気持ちに嘘はつけなかった。自分を嫌になったし、心底失望した。

近いうちに彼らは住まいを失くす。仕事もしてない彼らの生きていく術を案じているのは、僕と父親だけだ。彼らは無気力で、現状に保留することしかできない。サンドバッグよろしく、強く打たれても元の場所に静かに戻ってくる。それでもただ揺られてる彼らを見ていると、なんだか気味が悪くなる。
何で問題を解決しようとしないの?何でやる気が出ないの?何で不安にならないの?その目の先に何を見ているの?生きる先に未来は、光はあるの?

—僕のこの問いは小さな空間を漂い、誰に届くこともなくみるみる消えていった。僕は3日後、兄と言葉交わすこともないまま、思い出の空間を過去に置いてきた。

#小説 #連載 #家族