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第1回〜あの頃見た夢は〜

「一生懸命やったし、どうやら評判のいい大学みたいだから、ここに決めようと思ってるんだ。それで入学金が…」
2月までの戦いを終えて、表情から安堵感が滲み出ている息子は、大学進学に向けての手続きの為に私の元へ訪れてきた。
「悠司は金のことになると丁寧だな、まったく。」
「だってお金ばっかりは今の自分じゃどうにも出来ないからね。それにほら。締切日が今週末なんだよ。」

差し出された振込用紙には確かに4日後が締め切りと謳われていた。
「お前な、4日後に30万円も用意してくれって取立屋じゃあるまいし。」
そんなことを言いつつも、私も安堵の気持ちを隠せずにいた。

この春晴れて大学生となる悠司は、昔から自己主張の強い子供だった。彼らが幼少の頃、私が怒鳴り散らしても、兄の康司は恐怖に身を震わせ何も言えなくなったのに対して、悠司は目に涙を浮かべながら嗚咽交じりに「だって…」と反論した。小学生の頃にもなると、自分の起こした行動の理由を正当化するような生意気さも心得てきたし、今目の前にしている彼はその主張を突き通すだけの自信を身に纏っているようにも見える。
これから色々な壁に遭遇することで、その荒削りさは徐々に丸みを帯びて来るだろうが、そんな挫折さえも私ににとっては楽しみに思える。

「ところで康司は何時に来るんだ?」
「ん?僕が家出るときはまだ寝てたよ。昨日も遅かったみたいだし。だから1人で先に出てきたってわけ。」
「なんだあいつは、また夜遊びしてるのか。」
「ん、詳しいことは分かんないよ。話しかけてもリアクション薄いんだよね、コーシはいつも。」

康司は寡黙で主張の少ない男に育った。聞こえはいいが、本懐を知ることが出来ないもどかしさはここ数年の悩みといってもいい。
昔、私は彼らと頻繁に遊んでやることが出来なかった。しかし、いざ遊ぼうとなった時に何をしようかと問うと、康司は「なんでもいい」としか言わなかった。たった1度だけ、地方の遊園地に連れて行った時に「ジェットコースターに乗りたい」と言って入口の階段を駆け上がって行った。戻って来ては嬉々とした表情を見せて「もう1回…!乗りたい!」と何度も何度も繰り返しジェットコースターに乗っていた事は忘れられない。
「もう10回くらい乗ったんじゃないか?楽しいか?」
「うん、楽しい!おとうさんも、一緒に、乗ろう?」
「お父さんは苦手なんだよ、だから1人で乗っておいで。」
「そう…じゃあ1回だけ。行ってくるね」
11回目に戻って来てから、楽しかったと言った康司はもう、笑っていなかった。

ビーーッといういささか懐古的なベルが、康司の到着を告げた。

「おす」
「遅かったな、今日はお前に話があって集まったんだぞ。寝てたのか?」
「うん」
「大学はどうだ?」
「…」

私はまだ、前が見えなくなる程の濃霧の中に我々がいることに気付いていなかった—。

#小説 #連載 #家族