見出し画像

人生の分岐点(ターニングポイント)

東京六大学野球開幕。
在任9季目となるシーズン、今季も変わらず2階席より定点観測(観戦,視察)。

さて、今日はその話題から派生して、私自身のこれまでを『人生の分岐点』という視点で、振り返ってみたい。

人は日々、細かいもの、無意識下のものも含めると、最大3万5,000回もの選択・判断・決断を繰り返しているそうだ。

そんな中で、人それぞれにあの決断、あの選択が人生の分岐点だったと思えるものがあるのではないだろうか。

私の中の分岐点、それは大学1年の夏だと明確に言える。
一般入試を経て、早稲田大学に入学。
そして、早稲田大学野球部への入部を認めてもらい、選手として大学でも野球を続けることにしたものの、周りのレベルの高さに圧倒され、部を辞めて中途退部した。

その当時、3学年上には、江尻選手・東選手、2学年上には和田毅選手、1学年上には青木選手・鳥谷選手・比嘉選手・由田選手、そして同期には田中浩康選手と後にプロ野球に進む選手が同時に8人もいた、いわゆる早稲田の黄金期と言える世代だった。
そんな中、愛知の県立高校から入部した私にとって、それまでやってきた野球が同列には扱えないと思えるほどの差を感じ、このまま4年間、部に居ても何者にもなれないと感じ、部を辞めた。

こうやって書くと、何となく過去を正当化しているように聞こえるものの、当時は正直なところ、逃げるように部を去ったというのが本当のところだ。

しかし、それまでの私にとって、途中で物事を投げ出し、部活動(野球)を辞めるということはやはり大きな決断というか、挫折とも言えるもので、当時はしばらく何も手に付かず、ダラダラ過ごしていたことを思い出す。

そして、その決断から、自分が本来何をやりたくて早稲田大学に入ったのかという原点に立ち返り、当時はロールモデルがいたわけでもないが「トレーナー」になりたいという夢(目標?)を思い返し、その道を探ることになった。

そこからも、何度も自身の選択による行動、決断、そこからの人との出会いなど、多くの分岐点とも言える縁があり、今がある。
大学の恩師(中村千秋先生)との出会い、
そして、千秋先生を通じてストレングス工房を紹介してもらい、田内・大道という2人の師に出会う。
そして、今の仕事に通じており、紛れもなくそれらの縁は大きなものだ。

しかし、ここまでの半生を振り返った時の最大の分岐点はどこかと言うと、あの夏の決断だった。
人が聞けば、体育会の部を辞めたぐらい〜という瑣末なことだと思う。
ただ、もしあのまま下手くそでも選手を続けていたり、あるいは選手ではなくても、学年で選出された主務や学生コーチなどとなり、部に4年間残っていたとしたら…おそらく、間違いなく、今の仕事には就いていないと思う。
野球部に限らず多くの同期がそうしたように、一般就職をして、おそらく大企業にひとまず入っていたのではないだろうか。
そしたら、妻に出会うことも、息子に出会うこともなかったかもしれない…。
時折、人生のタラレバを考える時、そんなことを思うことがある。

20年前に今の仕事の第一歩を踏み出すさらに4年前の同じ頃、私は早稲田大学野球部の一員として、タイトルの写真のような景色を神宮の2階席から観ていた。

そして、時は経ち、今はその早稲田と相対するチームに携わる形で、同じ景色を観ている。

今日は、そんな景色を眺めながら、あの時の分岐点で違う選択をしていたら…と、巡り合わせの妙を感じながら、少しの間、振り返る時間があった。

開幕戦、見事に勝利。ナイスゲーム!

JPFストレングス工房
鬼頭 祐介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?