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価値あるものは無くならない〜本のエンドロール〜

 「うげっ、小銭がない。」

バーコード決済やクレジットカードなどのキャッシュレス決済がいろんな場所で使えるようになってきて、現金を持たずに生活できるようになってきた。それでも、たまには現金が必要な場面はある。駐輪場の支払いとかね。

「どこかで崩すか。」

自分は大体小銭に困った時は自販機でジュースを買って千円札を崩して小銭を錬成する。しかし、運悪く近くに自販機は見当たらない。さっき飯を食ったときに崩しておけばよかったなぁと先見性のない自分に少し嫌気がさしたりする。近くに見える店といえば駅前に佇む本屋くらいで、電車の中で読む本を売る小さいその本屋は客入りはあまり芳しくないように見える。実際、電車の中では本を開いている人よりもスマートフォンを操作している人の方が目に付く。

「たまには文庫本でも買ってみるか。」

技術書なんかはまだ紙の本で買ったりするが、漫画や小説なんかはほとんど電子書籍で買うようになった。読みたいときにワンクリックで読み始められるので、読書のモチベーションが高いときに読み進めることができる。どれだけ買っても部屋が本で埋もれることがないのも良い。たまには紙媒体市場に貢献してみるかと失礼なことを考えながら本屋の文庫本コーナーに足を踏み入れた。

新しく生まれた電子書籍という市場が右肩上がりであることは確かではあるが、実際比較すると紙媒体の販売額の方がまだまだ多いのだろう。そう考えると電子書籍と紙の本はキャッシュレス決済と現金の対比に似ている。新しく生まれた便利さとの対比で既存の価値が目減りして見えてしまっているのかもしれない。そんなことをぼんやりと考えていると一冊の帯コメントが目に入った。

この小説が売れ続けている以上、
紙の本は永遠に誰かの元に届くと確信しています。
[八重津ブックセンター本店 狩野大樹さん]
本のエンドロール 帯コメントより

”丁度いい”、そんな印象だった。この本からは、今頭の中にある疑問に一つの答えが得られるかもしれない。いくつかの帯コメントとあらすじを読みながら、その本を買うためにレジに向かった。

この小説は、とある出版社の関連会社である印刷会社が舞台になっている。本を作ると聞くと作家と編集者を思い浮かべるが、この本では出来上がった原稿を紙に刷り、製本して形にする部分にフォーカスしている。普段あまり意識はしないが、本を本として流通させるためには非常に多くの工程が必要で様々な人が関わっている。その中で物語の中心となるのが印刷会社の営業マン・浦本である。

物語は印刷会社の会社説明会から始まる。学生からの質問を経て、浦本は「物語が完成しただけでは、本はできない。印刷会社や製本会社が本をつくる」と語る。それに対しトップ営業マンである仲井戸は「注文された仕様を忠実に再現するのが印刷会社の仕事」と学生たちに伝える。理想と現実のような相反する二人の考えから物語は走り出しを見せる。

この本では一章ごとに一つの本が生み出される。作家やデザイナー、編集者の無理難題や数々のトラブル、それらを乗り越えて本が形となり出来上がる。その中でいくつもの新しいものと古いものの対比が存在する。電子書籍と紙の本、新しい調合機と職人の技、ペーパーバックという新しい形式とこれまでの本、印刷機だって新旧出現する。そういう見方をすると浦本と仲井戸の考え方も印刷会社の在り方についての新しい考え方と昔ながらの考え方と受け取れるのではないだろうか。

二人の考え方が物語の終盤にどう変わっていったかを考えると、既存の価値から新しい価値が生まれるだけでなく、新しい価値が既存の価値に還元される、そういうふうに思える。書籍における特装版なんかはその例ではないだろうか。ただ読み物としての本だけではなく、所有するという価値が特装版にはある。これは読み物としての電子書籍との対比で浮き彫りになった紙の本の価値ではないだろうか。ここでは多くを語らないので疑問に思う部分はあるかもしれないが、興味を持っていただければ紙の本で手に取っていただきたい。出版に携わる数々の人たちの熱い思いや誇りを感じながら是非とも読み進めていただきたい。

そうやって思考を巡らせながら左手にあった重みを右手に移し、最後に奥付本のエンドロールをめくった。

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