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[滝坂道]松見坂から駒場野公園まで

松見坂を登っていきます。ここから滝坂道は「東京都道423号渋谷経堂線」通称「淡島通り」です。

人気ドラマのロケ地となったカフェは、この松見坂にあります。プリンが大人気なようです。江戸時代、甲州街道ができる1602年(慶長7年)までは世田谷城、また府中に向かうための重要な道でした。

1976年(昭和51年)ごろの松見坂 - 古道シリーズ2 せたがやの瀧坂道より

松見坂を登り切ると左手に都立駒場高等学校が見えます。

東京都立駒場高等学校

駒場野は江戸時代八代将軍徳川吉宗により鷹狩り場とされ、鷹狩りをするために馬を停める場所(=駒場)だったためにその名前が付いたと言われています。明治時代になるとその広大な土地を利用し騎兵第一大隊営が現在の筑波大附属駒場中学校・高等学校の場所に移り、その後も多くの軍隊が淡島通り沿いに駐留するようになりました。第二次世界大戦後、軍用地は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により学校や病院などの公共施設に限り利用することが許されました。淡島通り沿いに学校が多いのは、このような歴史があるためです。

〆切地蔵

駒場野公園横には〆切地蔵と呼ばれるお地蔵様が御堂に3体、滝坂道の方を向いて立っています。1673年から1704年(江戸時代延宝から元禄の間)に建立され、この御堂にあったといわれる板には下記のように書かれていたと言われています。

コノ地蔵ハ、駒場、下代田、池尻ノ、境ニアル仏デアリマス。昔ノ人ノ伝エ聞ク話ニ依ルト、明治初年以前、西駒場地蔵(一名〆切地蔵)ト申サレ、隣村に悪病流行致ス時ハ、当駒場ノ村人一同、百万ベント云フ念仏ヲトナエ、地蔵尊ニ願ヲ掛ケ、当時ニハ一名ノ病人モ無ク、安心シテ生活シテコラレタノ由。悪病悪魔〆切ト云フノデ〆切地蔵ト申サレ、今デモ重病人ノ在ル方ハ、〆切地蔵ニ一週リ(現今ノ一週間)、モシ一週リニテ御利益ナキ時ハ、二週リ御願申セバ必ズ快方ニ向フトノ伝説デ御座リマス。又此ノ地蔵ニ『イタズラ』又賽銭ヲ取ルマタハ不心得ノ者ハ、一ヶ月以内ニ必ズ災難ニアフトノ事、又他何事ノ願デモ必ズ誠心誠意ノ方ニ成就スル事『ウタガイナシ』

歴史を訪ねて 目黒の地蔵尊信仰 目黒区 

瀧坂道はこの〆切地蔵を越えると目黒区から世田谷区に入ります。

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