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[滝坂道]裏渋谷通りから松見坂まで

道玄坂地蔵をお参りして、滝坂道に戻ります。西に向かって松見坂まで歩きましょう。

裏渋谷通り(滝坂道)を西に向かうと京王井の頭線神泉駅の入口に向かって下り坂

京王井の頭線神泉駅は、終点渋谷駅の一つ前の駅。吉祥寺から走ってきた電車は神泉駅を出るとトンネルに突入。けれども渋谷マークシティの2階に到着します。

京王井の頭線神泉駅横の踏切。駅を出るとすぐにトンネルに入る。
裏渋谷通り(滝坂道)は神泉駅の入口を過ぎると上り坂。
美味しい洋食、和食の名店が軒を連ねています。
信号が見えたらそこは旧山手通りとの交差点。
信号を直進して、1つ目の交差点に着くとそこは渋谷区と目黒区との境界。
目の前に山手通りが現れると滝坂道はここで一旦行き止まり。
山手通り手前のマンションの前に「石橋供養塔碑」があります。

石橋供養塔碑
青葉台4-2-19
この碑は、正面に刻まれた「文化九年壬申 石橋供養塔 九月吉祥日」の銘より、文化9年(1812)に建立されたことがわかります。正面上部には梵字が、下部には三田用水沿いの中目黒村、白金村、北品川村など十三か村の名が刻まれています。碑の右面には滝坂道沿いの若林村、経堂村、上祖師谷村など二十余か村の名、左目んには建立に尽くした人と石工の名が刻まれています。
この碑の前の道は、渋谷区道玄坂から調布市で甲州街道に合流する古道「滝坂道」の一部にあたります。碑に刻まれた内容から、約70m東(左手) の尾根筋を流れていた三田用水に架かる石橋に感謝し、建立されたものと推測されます。昔は2mに満たない用水路でも、悪天候では増水するなど交通の障害になりました。
この碑に刻まれた村名が広範囲にわたることから、安全に通行できる堅牢な石橋が人々の生活に極めて重要であったことを伺うことができます。
当初は橋の脇(現、青葉台4-2-24付近)に建っていたと考えられますが、昭和47年(1972)にこの地で発見され、マンション住人の方々により保存・修復されてここに設置されました。
平成22年3月
目黒区教育委員会

石橋供養塔碑説明板より

今では山手通りが滝坂道を分断してしまっていますが、国土地理院で現在の地図と1945-1950年の空撮写真を重ねてみると滝坂道は今の山手通りを突っ切って松見坂交差点にほぼ直角に合流するように見えます。この当時は山手通りはまだできていなかったんですね。

山手通りを渡ると、滝坂道と考えられる道に階段で降りることができます。
山手通りと滝坂道との高低差!山手通りの工事は大変だっただろうなと思います。
東京都が昭和58年(1983)設置した松見坂の石碑 松の下にいるのが土賊道玄!?

松見坂
この坂から、「道玄物見の松(土賊の道玄がその松に登って往来の人を見下ろし、手下に命じて衣服や携帯品を掠奪したためにその名がついた)」が見えたので、松見坂と呼ばれるようになったといわれる。
また、坂の途中に松見地蔵があったので坂の名になったという説もある。
昔は、この坂の北西には、駒場野と呼ばれる広大な原野があったが、今はその面影もない。
昭和五十八年三月
東京都

東京都松見坂石碑より
滝坂道は松見坂から「淡島通り」に合流します

渋谷区を離れて目黒区に入った滝坂道。西に進みます。

目黒区の坂 松見坂
https://www.city.meguro.tokyo.jp/smph/gyosei/shokai_rekishi/konnamachi/michi/saka/hokubu/matsumi.html

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