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としまえん閉園に寄せる個人的総括。

としまえん閉園

本日2020年8月31日、としまえんが閉園する。2019年度の純利益は52.7万円で経営的に厳しさがある。設備の老朽化で今後さらにメンテ費用が見込まれるだろう。ビジネスである以上は仕方ない判断だ。個人的にはとっても寂しいけれど、ここ数年行っていなかった自分に文句を言う権利はないのだ。2020年6月に閉園が発表されてから猶予があったものの、3人目が生まれたばかりという理由もありお別れに行けなかったので、自分自身の総括のために豊島園の思い出をポストする。


年間パスポートの思い出

僕は小学校低学年の頃、年パスを買い与えてもらって、文字通りほぼ毎週通っていた時期があった。おそらく月2~3は間違いなく行っていた。

世田谷の上祖師谷に親戚のおじさんおばさんが住んでいて、毎週末は父の運転するクルマで豊島園へ寄ってしこたま遊んでから、おじさんおばさんちに行ってお泊まりし、翌日また豊島園にちょっと寄ってもらう。というのが定番コースだった。

実家は自営業で決して裕福ではなかったのが、それでもバブルで景気がよかったのだろう、父が奮発して年パス「木馬の会」に入会させてくれたのだった。豊島園の木馬の会事務所に行って入会書と現金4〜5万円くらいだったかを父が支払ったシーンを覚えている。それだけの大金を目にしたのが初めてだったので、こりゃあ本気で遊ばないと。。と思ったのを覚えている。

実は自分は最初、絶叫系のライドはてんでダメだった。2つ下の妹の方が恐い物知らずで、身長制限を背伸びしたりして突破しながら、嬉々として絶叫系を乗り回していた。「俺はいいや、興味ないから。。」とか言って敬遠していたのだが、このままでは兄の尊厳が損なわれる気がして、逃げ出したくなる気持ちをグッと堪えて乗る回数を重ね、恐怖を克服していった。「妹にダサいと思われたくない。。」という単純な思考で、とりあえず頑張る。兄はプライドが高い生き物なのだ。

絶叫系ライドに慣れ、年パスを首からぶら下げた兄妹は、生まれたばかりの下の妹の面倒をみている親を置いて、狂ったようにサイクロン、フライングパイレーツ、フリュームライド、今は無くなってしまったシャトルループ、トップスピン、レインボーなどを乗り回していた。

連続で3回、4回乗るのは当たり前で、座席を替えてどこが一番恐いかを調査する。地図を見ながら一周片っ端から全部乗る。など、いろいろ試行錯誤していたのを覚えている。今でも園のマップはなんとなく頭に入っている。

乗り終わったら、降車口が開くのを待ち、開いたらすぐ乗車口までダッシュした。乗車券が高いやつほど集中的に乗っていた。とにかく1回500円~のモノがタダで(はないのだが)乗れる、乗れば乗るほど元が取れる。というフリーパスの魔力に完全に陶酔していた。

としまえんの黄昏

その後、少年野球が始まり、中学では部活のテニスに移行し、家族と休日を過ごす時間は急速に減っていく。友達と遊んでいる方が長く、楽しく、当たり前になっていくのだ。としまえんに毎週通っていた頃が、家族で遊ぶ時期の、最後の区切り線みたいなものだった。自分の子が8歳、5歳、0歳。いちばん上の息子が遊んでくれるのも、あと数年だろう。

2年前、自分の子を連れて豊島園に行った時「こんなに狭かったっけ」と思った。いくつかの名物ライドが引退していて、人はまばらで、アルバイトスタッフは暇そうにしていたのを覚えている。「形あるものは全ていずれ壊れてなくなる。」とよく母が言っていたが、まさか豊島園自体がなくなるとは思わなかった。

同情するなら金落とそう

多分、これは始まりに過ぎないのだろうとも、思う。人口が減って、経済成長は停滞しているところに、新型コロナの波がきた。お気に入りの場所、行きつけのお店、思い出の場所、はおそらく今後さらに急速になくなっていく。なくなってはじめて惜しいと思うのが人間なので、意識して今あるものを噛み締めて、あるいは無くならないように少しでもお金を落とし続けていくことが、大切なんだろうと思った。

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