宇多田ヒカルさんのブレイクと藤圭子さん虚像の成立について

 宇多田ヒカルさんは、「なぜ歌手、音楽家になったのですか?」の問いに、「家業を継いだんだぜ」と答えています(「#ヒカルパイセンに聞け」より)。また、ヒカルさんは、こんなことも言っています。「音楽は逃げ道でもあり、本家でもあり、みたいな。不思議なとこにあるんだよね、音楽って。この前、音楽をやってる自分をどう思うって聞かれて、「呪いですね」って言ってたら、横でお父さんが「因果って言ってよ」って言っていたんだけど(笑)」といったといいます。(ソニー・マガジン「Gb」[ライター/早川加奈子]より(2001年5月)


 ヒカルさんは、「家業」を継いだと言っているのですが藤圭子さんは、一家の家計を支える「家業」=歌で稼ぎ「家族」を養うことを望んだのだろうか?おそらく、圭子さんは、ヒカルさんを「歌手」として世に出したかったが、そのことで稼ぎ出した「お金」は自らの自己実現のために使って欲しかったのではないか?そんな気がしてならないのです。
 ヒカルさんは、1998年のデビューシングル曲「Automatic」が、ダブルミリオンの大ヒット。翌1999年に発表したアルバム「First Love」は767万枚を売り上げ、今も破られていない日本最多の枚数となった。ヒカルさんは「デビューしてすぐ、高額納税者のランキングに芸能関係とか音楽とかの1番かなんか、16(歳)の時になって」と振り返っています。
 しかし、このことも有名な話しですが、「音楽評論家の小西良太郎氏は2000年頃、圭子さんから電話をもらったという。「会うと彼女は「私、事務所の副社長なのに、方向性を断片しか知らされていない。ヒカルと夫だけで話が進んでいって、仲間外れにされている」と愚痴る。 「しかも、お金を(役員報酬も)一銭ももらっていない」と言っていますので、照實氏の「所謂ヒカル・マネー」の使途にも疑問を持っていたようです。「ロス(アンジェルス)に借りていた超高級マンションの家賃の振り込みも滞ることがあり」、「知人には“今はもう2000万円くらいしか持っていない”と話していた」と言います。圭子さんは、自らの報酬について、音楽評論家の小西良太郎氏に相談し結果、弁護士を紹介され事務所から役員としての報酬を確保します。その額は「2億円」だったと言います。
 この外にも、故梨元勝氏によると、「1月の末だと思います。僕が今出ているテレビ朝日の『スーパーモーニング』のスタッフルームに、藤圭子さんから電話がかかってきたんです。彼女はいきなり「宇多田さん(圭子さんは夫の照實氏をこう呼んでいます)が、家族で経営する事務所「U3 MUSIC」の事務所の女の子と浮気している」というのです。さらに、経理問題なのですが、プロデューサーの印税は宇多田さんに振り込まれ、作詞作曲の印税はヒカルに振り込まれるはずだ。ところが、これ(ヒカルさんの作詞作曲の印税)が去年の2月から支払われていない。「私は東芝EMIに行って全部調べた。一番わからないのが、歌唱印税だ」と彼女は言う。歌唱印税は新人歌手の場合、ヒットするかどうかわからないから、けっこうアバウトに決められるらしいんですね。これは事務所宛に振り込まれるのですが、これもどうなっているかわからない。「絶対おかしいわ」となるんです。それが数日間続く」とあります。しかし確定申告の直前にまた圭子さんから電話がかかってきて「梨元さん、ごめんなさい。あれは私の間違いだった。宇多田さんはヒカルと私のために一生懸命考えてくれて、最終的にそれは給料やボーナスの形でちゃんと振り込まれていた。私たちのためを考えてくれる素晴らしい人だったんだ」と言ったといいます。 しかし「2002年ごろ、宇多田のコンサートを開く権利を無断で藤(圭子)さんが第三者に売ろうとしたんです。それがきっかけで2人の確執が生まれてしまったようです。そのころは紀里谷和明氏との結婚、米ユニバーサルレコード傘下のレーベルと契約と、絶頂を極めていただけにショックも大きかったのでは」(女性誌記者)と言います。 2002年と言えば、4月ヒカルさんに卵巣嚢腫が見つかります。そして手術後の9月に宇多田ヒカルさんは照實氏が2000年に宇多田の新曲ジャケット写真を依頼し、その打ち合わせで知り合った映像作家の紀里谷和明さんとの結婚を正式に発表しています。そしてこのこともあって、夫になった紀里谷氏から圭子さんに「役員を外れてほしい」と申し入れをされます。結局、圭子さんは、役員は外れなかったと言っていますが、「家族からそんなこといわれると思わなかった。それから人間が信じられなくなった」、「ときには少し涙ぐむ様子で「ヒカルは冷たい」と何度も何度もいって...家族からもう完全に孤立しているという感じでした」といいます。(芸能関係者)
 一見、この一連の圭子さんの行動は、宇多田照實さんが、家族で経営する事務所「U3 MUSIC」の事務所の女の子と浮気していることに関連しているように見えます。しかし圭子さんは、このことについてこんなことを言っています。「私は、人が誰かを好きになるのは止められないと思っている。その人の気持なんだから、彼女(M子)と別れてくれとは言えない。でも、結婚していれば誰かが苦しむ。当然、私が苦しめられる。これは嫌だから、私と別れてほしい。私を解放してほしいんです」と。つまり、この文脈から考えると、「浮気」は離婚で済むが、ヒカルさんの稼ぎ出した「お金」は、照實氏に任せきりだと心配なのでその収入の実態と分配について圭子さんは追及しているように見えます。ですから「(ヒカルさんの)コンサートを開く権利を無断で藤(圭子)さんが第三者に売ろうとした」ことも、ヒカルさんのために収入の窓口を照實氏だけにせず分散させたいという意図も見えてきます。
 しかしこのことにより、圭子さんは「所謂ヒカル・マネー」を自身のために手に入れようとの疑いをかけられてしまい、後の2006年3月の「JFK国際空港における米国司法省麻薬取締局による現金差押事件」以降は、「娘が“カネのなる木”になってしまった家庭の悲劇」として、「たび重なる海外豪遊とカジノ三昧」と「精神の病を患っている」いう藤圭子像を作りあげられてしまうのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?