日記2024年5月②

5月5日
布団を剥いだ子供が足をぐいぐい私の体の隙間に押し込んで暖をとろうとするので早く起きた。そのうち子供が起きて、朝ごはんを食べさせ、オセロをやろうと言うから付き合ったが、まだ石を挟んで置くとひっくり返せるということが飲み込めないようで、そこは置けないよとかその石は返せないよとか教えていたら「もうやらない」と言ってやめてしまった。
母方の祖父が元気に生きていたころだから小学校の低学年かそれ以下だが、祖父母が正月を東京のホテルで過ごすために出てきていて、ホテルには正月用に遊べるものが用意され、そのうち一つがビリヤードだった。祖父はそういう洒落た遊びが好きだったから、キューの持ち方から球の突き方落とし方などを私に教えるのだが、私は教わるのが嫌になって、でも言い出せないから泣いてしまった。祖父は「どうして泣いたんだ」と狼狽えていて、祖父という人は偉そうだったし実際偉い人だったので子供としては慌てて困惑するなんて思いもせず、私のせいで狼狽していたのがなんともいえず申し訳ないような嬉しいような思いで、そのときの母の微妙な笑い顔と一緒に今もよく覚えている。
妻が当直明けで帰ってきて、一緒に軽く朝ごはんを食べたら私は眠ってしまって、昼ごはんで一回起きたけれどまた寝てしまい、妻と子供が遊びに出かけたあと14時半にやっと起きた。中途半端な時間に合流してご飯を食べた。模型屋で小学生くらいの男の子がすごい話しかけてきて色々と世話を焼いてくれてかわいかった。子供がメロンフラペチーノを飲みたいと言うのでスタバに入った。フラペチーノはすごく甘かった。ラテも一緒に買ったのだが、妊娠中の妻のことも考えてデカフェにすればよかったと反省した。帰ってまた寝た。今度は妻も寝た。子供だけ起きていた。あまりにも疲れていた。

5月6日
9時まで寝ていた。まだ眠い。天気はいいが風が強い。朝食後また寝てしまって、子供は退屈そうにしていた。昼過ぎにびっくりドンキーに行った。あの大きなメニュー表がなくなってタブレット注文になり、ハンバーグのグラム数表示がSML表示になり、変な名前のミルクコーヒーがなくなり、マーメイドサラダも変わり、全部デカかった料理にSサイズが誕生していた。味はあまり変わらないと思うけれど、びっくりドンキー感はだいぶ変わってしまった。チーズバーグの拍子木みたいなチーズが普通の板状のぺったりしたチーズになっていたのは少しショックであった。あの立体感がびくドンだったのに。日本はいったいどうなるのだろうか。
スーパー銭湯の看板がひらがなで書かれていたので子供にも読むことができ、行きたいと言うので行くことにした。妻はスーパー銭湯が好きである。私は風呂上がりに進撃の巨人を読んだ。最後の方だけ読んでいなかったのである。細かいことも大きな流れもおおかた忘れた状態でザーッと読んだのであまり中身について言えないのだが、よい終わり方だと思った。世界の歴史の中に世界を左右する特殊能力を置き、その謎を追いながら失われた歴史を知り、引き受け、歴史を新しい局面に進める若者たちの話とすると非常に王道の少年漫画であり、しかしその歴史は戦争と差別の歴史であり、人々は殺しあい、主人公たちは大切な人を殺されながら自分たちも罪にまみれていく。その歴史を終わらせるために色々な思惑が交差して最終決戦になるわけだが、その歴史の出発点も終着点も、一人の人間の一人の人間に対する愛であったことがわかる。こう書くとセカイ系でもあるのかと思うけれど、そのような世界の成り立ちであることは最後までわからないから、セカイ系の読み心地ではない。未来を見通せる超越者である始祖が描いた人間の自由が一人の人間の愛であり、それを可能にした自由の余地が仲間と衝突することも可能な人間同士の 繋がりだったのだと思う。そして巨人の力が消滅してこの漫画の使命が終わるのだが、戦争と差別は全く消えていない。全てを描く始祖の手を離れて人間の世界がやってくる。歴史を引き受けた登場人物たちが歴史を進め始める。そこにもう作者も読者も必要ないと思える終わり方である。堂々たる完結だと思う。
進撃の巨人の最終巻を読むまで妻と子を待たせていたので謝ったあと、食堂で夕飯にした。全部リストバンドにツケ払いなので気分が大きくなる。ここの食事はなぜか本当にうまい。酒は飲まないが、ツマミを色々頼んでからざるそばとおにぎりを食べた。蕎麦までうまいのはもうよくわからない。うまいからそばつゆなしで食べてしまった。子供もそばをたくさん食べた。あとはもう帰って歯を磨いて寝るだけだと思うと最高の食事である。今度一人でも来ようと思った。
子供は妻が「大きなお風呂に入りたい」と言っていたのを覚えていて今日ここに来たいと言ってくれたらしい。親を喜ばせたいという気持ちだったみたいである。子供は別にそんなことを考えなくてもいいわけだが、親に喜んでもらいたいと思うこともそれは当然あって、そういうことを素直に行動に出してくれたことを親は喜んで感謝すればいいのだと思う。人を喜ばせたら自分も嬉しいというシンプルなことを色んな場面で発見していけるといいなと思う。

5月7日
雨。子供は先日買ったピカチュウのぬいぐるみと並んで座って朝ごはんを食べた。連休明けで仕事が憂鬱ではあるけれど案外たいしたことない憂鬱で、鬱ではない。レインブーツを履いていく。
昨日子供がサッカーの試合を見たいと言い、妻は前に女子の試合が見てみたいと言っていたので、地元の女子チームの予定を調べた。妻はスポーツ観戦には昔から興味がわかなかったそうなのだが、女子のサッカーなら自分の体に近いから真剣に見られるかもしれないと言っていた。そうかもしれない。私と妻は学生の頃浦和レッズの試合を見にいったことがある。浦和ホームのセレッソ大阪戦で、南野がいたから2012年頃だと思う。芝がきれいで大きなスタジアムに風が通るのが気持ちよかった。お弁当を作って持っていったのがとてもおいしかったのを今も覚えている。
連休明けだが、連休明けだからか、パーっとしたい。スーパー銭湯に行きたい。子供は赤ちゃんの名前について考えていて、仲のいい子の妹の名前をつけたがっていた。同じだとちょっとねえ、と言ったが譲らなかった。
詩が概ね書き上がった。妻に読んでもらった。悲しい感じだということはわかったよと言っていた。全体の構成や展開の工夫まで持っていけず、その割には長く、やや弱いような気もするが、初めてにしては形になった。

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