日記2024年5月④

5月12日
私は昔からサッカーが好きであるが、子供がサッカー教室に通っているのは好きな先生がサッカー教室の担当だったからで、偶然である。妻とサッカーを観ることもあったが、選手が自分からかけ離れていてピンとこないと言い、女子の試合なら楽しめるかもしれないと言っていた。そういうわけで、WEリーグの女子サッカーの試合を観に行った。フクダ電子アリーナでのジェフ千葉レディース対INAC神戸である。千葉は8位でここ5試合勝ちがなく、神戸は2位で首位を追いかけていてこの日負けたら優勝を逃すことが確定する。千葉は過去6戦で一度も神戸に勝てていない。千葉には厳しい戦いである。神戸のFW田中美南がズバ抜けて能力が高く、田中を中心にした神戸のハイプレスを千葉が受けて裏を狙っていく展開であった。千葉は5バックの中央にサンプソンを入れて田中を抑えつつ、アンカー岸川を経由して右WBの山口の裏抜けを狙っていた。意外と言ってはなんだが千葉は神戸のハイプレスをうまくかわしながらアンカーを使ったビルドアップを果敢に行っていて、一つプレスを外した上で長いボールを使って裏を狙う工夫があり、こぼれたボールに対して大熊環がよいポジションで奪うことができ、いい戦いをしていた。チャンス数は神戸が圧倒していたがよく守り、運もよくてPKによる1失点に抑え、千葉のエース鴨川が高いテクニックで2点に絡んで、千葉が勝った。後半、神戸が選手交代を使って攻撃時の前線の起点を作ってきたのだが、千葉もマッチアップするディフェンスを高さのある選手に交代して封じ、交代策もそれぞれ的確でおもしろかった。
子供はさすがに一試合まるまる座って観るのは難しかったみたいで後半には離席してお店とスタンドを行ったり来たりしていたけれど、サッカー観戦というものは十分体験できていた。どっちが勝ったのかとかはよくわかっていなかったが。途中怪我や脳震盪の疑いで選手交代が2回あり、子供はその選手の無事を何度も確認していた。ジェフのマスコットのジェフィ君と写真を撮った。応援用のユニフォームを模したTシャツを買った。
私は普段アーセナルという最高峰に近いチームを応援して配信で試合を観ており、日本のWEリーグとはレベルが違うのはたしかなのだが、サッカーを観るおもしろさは同じであるし、むしろなんでサッカーが好きなのかが再確認できる。
試合後、近くの公園にいたら同じ幼稚園の子もいて、しばらく一緒に遊んだ。相手の子はひたすらうちの子の名前を呼んでおーい、おーいと遊び回っていてかわいかった。お母さんは大変そうだったが。うちの子は列に並ばなきゃダメだよとか小さい子がいるから押しちゃダメだよとか教える側に立ちながら遊んでいておもしろかった。これはこれで将来苦労しそうである。
そろそろ帰りましょうかということで、我々はスーパー銭湯に行った。子供もお風呂を楽しんでくれた。風呂上がりの売店できゅうりを食べながらレモンスカッシュを飲んだ。風呂上がりにはきゅうりが一番である。食堂でお腹いっぱい食べた。ここは本当に何を食べてもうまい。少食な子供もここのざるそばは食べてくれるので言うことなしである。食べたあともう一回お風呂に入って帰って寝た。親にとってはよい休日だったが、子供にとっては疲れたみたいで、夜寝るときに寂しがってなかなか寝付かず、寝たあと夜驚をおこした。

5月13日
妻の検診があり、お腹の子供の性別がわかった。名前も考えはじめないとなあと思う。上の子の妊娠中はどんどんうつ病になっていっているときで、自分では名前を考えるのも楽しんだつもりだったのだが、妻からするとあの頃は名前を話し合うのもつらそうだったらしい。悪かった記憶は残らずよかった記憶で塗り替えられている。それでいいのだと思う。上の子は毎日お腹の子のことを話している。おかあさんとおとうさんだと赤ちゃんをこわがらせちゃうから自分が一緒に寝るのだと言う。なにをどうやっても子供にとって親は壁であり邪魔をして怒る存在である。これもそれでいいのだと思うが、私は少し細かいことを注意しすぎかなあと思うこともある。自分と似てるから色々思うことがあるんじゃないのと妻は言い、がさつなのはよくないみたいなのはあるよねと妻が指摘した。そうかもしれない。私はがさつなのをよしとしない。男の子であればがさつで子供っぽくてもずっとそのままでいても許され、実際そういられると本人も楽なのだが、私はそれでいいとは思わない。信念というか身に染みついた習いなので自分でどうこうするよりも前にそう思ってしまう。子の性別は子育てに大きな影響を与えるが、私にはそれが煩わしい。自由であればどれだけいいだろうと思う。家族という偶然的な集まりにおいて男だ女だというのが問題になるのが不思議で、外野から性別の圧力がかかるのが邪魔くさい、非本質的だと感じるのだが、一方で、家族という偶然的な集団を社会的な構造として維持するために性別という仕組みの明確化が求められるのかもしれないとも思う。性別という仕組みが家族の形に圧力をかけるのだが、同時に、そもそも、家族という仕組みが社会に人間の性別化を強要する。たぶんそういうことはとっくの昔に学術的にたくさん考察されているのではないかと思うけれど、とにかく私は今日そう思った。子の性別というのは本当に難儀である。妻と検診の後でファミレスのモーニングを食べながらそういう話をたくさんした。デニーズのモーニングはなかなかいいものだと知った。アメリカンコーヒーが合う。
強い雨風。妻を職場に送ったあと少し詩に手を入れた。
幼稚園でやっている英会話教室の体験参加をした。楽しかったらしい。将来のために英語の勉強を、などと考えているわけではないのだが、幼稚園の通常の時間の後の預かり保育の時間にずっと遊んだり絵本を読んでもらったりするよりも、少人数で何かしら先生から教えてもらう時間があったほうがうちの子は楽なのではないかと考えた。かなしいかな、うちの子は思うままに友達と遊ぶよりもルールや先生の言うことを正しく理解して実行することに心血を注ぎ、どうやったらよりうまく決まりの裏をかいて目的を遂げられるかを考えていたりもする。いいような悪いようなであるが、要は「お勉強」の枠組みがあったほうがのびのびできるように見える。そういうわけで英会話も勧めてみた。感想を聞くと「たのしかったよ」ということなので続けると思う。幼稚園や学校とは違う自分でいられる場所として習い事があるといいなあと親としては考えていて、とりあえず家の他に羽を伸ばせる場所が見つけられるといいなあと思う。

5月14日
薄曇りの穏やかな日で、患者さんと昨日はすごかったですけど今日はいい天気になりましたねと話す。うつ病本を書くのに苦労しているけれど少しずつ書き進めている。そのパートの題材と主題を固めて4000字ほどを目安に書いていけるといいのかなと思っていて、全体のモチーフをふんわりと手繰りながら各パートを作っていく。5月中にもう一パート書きたい。
非常勤先のカンファで難しい話し合いがあり、私もいくつか意見を出した。私の場合こういう場で言葉が出るかどうかはリラックスしているかどうかでほぼ決まるのだが、私はこの職場が好きだし上司と臨床の態度が近いので気負わずに話せる。冗談半分で私に常勤になってくれみたいなことを言ってくれ、嬉しかった。
仕事が終わって幼稚園にお迎えに行き、うちの子が帰り支度をするのを待つ間にお友達の子が玄関に来て、なぜか私になついてしばらく遊んでいた。その子のお母さんがちょうど出産のため入院しているらしく、さみしかったらしい。しゃごんだ私の膝の上に登ったのでズボンに思い切り靴の跡がついて、幼稚園の先生があーごめんなさい汚しちゃってと謝り、私としてはこれは先生が謝ることなのかと感心半分不思議半分で聞いていた。ズボンの汚れなどまあ全く問題ないのだが。今度またみんなで遊ぼうねと言って帰った。
最近子供が寝るときに添い寝を求める。下の子が生まれることを意識しているのと関係しているきもしれない。さみしくならないようにしてあげたい。
今日はわりと子供に細かいことを言わず、おおらかに接することができたと思う。少し意識して続けていく。

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