私は祖父母が大好きでした。

自分がどのようにに生きていきたいのか、考えていたら大好きだった祖父母の二人が頭に浮かびました。

祖父は肺がんで亡くなりました。
最後にお見舞いに行ったとき、今のうちにいろいろ聞いておこうと色々と雑談していたら、祖父は祖母にふと「今までこれで、良かったよな?」と言いました。
祖母は何も言わず「うん」と伝えるように顔を動かしました。その時の表情は見たことないくらい複雑な表情でした。
自分はうっすら祖父が過去にあった困難を祖母と一緒に乗り越えてきた事等を聞いていたので、苦労や我慢もあったけど、それでも自分の意志で選んだ道だし、幸せで楽しく生きてきてこられたから私はいいんだという意思をその所作の奥側に感じました。あの時の衝撃は忘れられません。

それから祖父が亡くなって、私は葬儀の際みっともなく声を上げて泣きわめきました。あんなに泣いたのは人生ではじめてでした。
その夜は祖父の亡骸と一緒に夜を過ごしました。
夜伽も寝たらもう終わるなと思ったとき、もう二度と会えないし、写真を撮るかどうか迷いが生まれました。
でも、もう生きていた姿で会えないのなら、写真を撮って祖父を思い出すのは違うなと思いました。
自分が大好きだった祖父は、元気だった頃の笑った祖父だったし、何を喋っても答えてくれなくて、眠っているようにしか見えなくても死んでしまった祖父はもう別人だと、その時思うしかなかったのかもしれません。

そうしてから数日後、僕は大好きな祖父から高専に受かった時買ってもらった時計を捨てました。
引越しの際に物を整理するときふと時計を見た時に、祖父が死んだ事実を思い出して辛くなり、「捨てるか迷っている」とだけ母に伝えました。母は「捨てな」と一言だけ言いました。
相変わらず冷たい一言だなと思いましたがそれでも母が決断してくれたような気がして、そのときは何も考えずにえいやと捨てました。
しかし今その時計を捨てたことを後悔しています。それは捨てた理由が「母が言ったから」しかないからだったと思います。
自分自身で、「使って無いけど、これは大切だから持ち続ける」と決めたのならあの時計が今でも棚の上にあったと思うし、「いらない」と決めていれば、それはそれで後悔はしてなかったと思います。

自分自身で決断するべきだった。
他人に流されるのもいいことだとは思う。でも、もしその判断が間違えていたら後悔は残る。
自分で決める事は後悔を少なくするし、自分で決められることは自分の責任で決めたほうがいいときもある。
祖父母の人生には勝手ながら、たらればはなかったと思う。だから最後の会話を憶えているのだとさえ思う。
そうやって少しでも決断して次に進んでいければ、いつか大好きだった祖父母みたいに生きていけるのかなと思っている。


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