大学の文芸部と同人活動の話

みなさんこんにちは! 村谷由香里です!
noteをご覧いただきありがとうございます!

昨日、サークルでもお世話になっている黒部氏の家で新年会をしてきました。久しぶりに昼間から酒を飲みましたね〜! 愉快〜!! 黒部氏が用意してくれたごはんやおつまみも美味しかったです。ありがと〜!!

黒部氏は山口大学の文芸部の同期です。新年会に集まったのもみんな同回の女友達でした。なぜか我々福岡に密集してるんですよね。
大学のときの人脈って今の創作活動にもめちゃくちゃ役立っていますが、文芸部のつながりは特にそうかもしれません。ちなみにわたしの恋人も、山大文芸部の二つ上の先輩にあたります。

現役を引退してから文章を書かなくなってしまった人も多い一方、わたしや黒部のように、しぶとくこの界隈にしがみついている人間もそれなりにいます。

この話は以前ツイッターでもしたんですが、文芸部時代、わたしは筆が速いという以外それほど特色のない書き手でした。文章は書き慣れているけど、全体的に可もなく不可もなくって感じ。わたしには才能もなかったし、同期にひとり天才がいたので、まったく目立っていなかったんですよね。

その天才は黒部の夫にあたる松下和生という男で、今もしぶとく創作にしがみついているひとりです。黒部さんが編集を担って、こういう本を作っています。

松下さんは「たとえ読まれなくても書ければ満足」というタイプの書き手です。
わたしがどうにかして自分の作品を世に知ってもらおうとSNSを使ったり同人活動をしている間も、彼はひとりきりの世界で、めちゃくちゃな時間をかけて凄い小説を書いています。
今でこそ黒部が冊子という形にしていますが、彼女がいなければ、あのころわたしがどうしても勝てなかった松下作品は埋もれていた。そう思うとゾッとするのです。

彼の作品や黒部の活動を見ていると、作品を世に出すということを改めて考えます。
わたしにとって文章を書くことは「生きる手段」になったのでちょっとややこしいのですが、生活のための労働以外で(つまり同人活動で)、わたしが作品を出す理由は何だろうと考えるんですね。

承認欲求や自己顕示欲はもちろんですが、やっぱり物語は人に読まれてこそ真価を発揮すると考えているからかもしれません。読まれるために生まれてきた言葉が、誰にも見られないのは不憫だと思ってしまう。
公募で落ち続け、日の目を見ない作品がいくつも積み重なっていくことに絶望して同人活動を始めたのは、結局そういうことだったんだろうと思います。

わたしの文章を読んでくださるみなさまに救われています。わたしは同人活動において積極的に感想を欲するタイプではありませんが、それでも誰かがわたしの文章を受け取ってくれたことがわかると嬉しい。楽しんでいただけていたらもっと嬉しい。
もちろん、何も言わずともわたしの活動を気にかけてくださる方、作品を手にとってくださる方にも、本当に救われております。姿は見えなくても、どこかにいる誰かの生活の場に、わたしの本や文章がある。とてもありがたいことです。

最近こうして日記をつけていても同じことを思います。ここまで読んでくれてありがとうございます。
本当にありがとう。
もし良かったら、明日もお付き合いいただけると嬉しいです。

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