ぶんぶん蜂蜜

真実の愛とは?を探し、ヤリ捨て恋愛から、タダヤリモク撲滅!と活動中。10代からは世界の…

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真実の愛とは?を探し、ヤリ捨て恋愛から、タダヤリモク撲滅!と活動中。10代からは世界の男性像を体験しようと活動。20代は趣味でSMの世界に。30代は子育て、40代からは金の為デリヘルからの出会い系フリービッチに。本当にしょーもな男を語ります。

最近の記事

南米編ペルー滞在

ペルー滞在は最初の断水で、戸惑ったものの、基本、今日のビールがあればいい!という民族なので、家族、親戚皆優しく陽気で楽しかった。私のスペイン語もメキメキ状態し、会話も出来るように。 彼のお母さんはスピな人で、サイババを信仰していて、仏壇の置いてある部屋があってサイババのカードや御線香が飾ってあった。 昔はタロットで仕事したりしていたそうだ。 彼は育てられたお婆ちゃんの影響でエホバだったので、お母さんのタロットやサイババには反対していた。でもママラブなので、私にするみたい

    • 南米編…その後。ペルー滞在

      まだやっとハイハイ時期の乳児を連れてペルーへ。 飛行機は1番安いのを探して、デルタ航空で。 行きは比較的空いていたので、乳児をシートに寝かせたりも出来たけど…24時間以上かかる上、乗り換えありで、やっとリマに到着 到着したら彼の弟が車で迎えに来てくれて、家へ…。 不法滞在12年…つまり、それだけ長く家族に会って無かったので、涙と熱い再会が繰り返され、次から次へと来客が。 私達の部屋には大きなマットレスが引かれた部屋を用意してくれていたので、そこでやっとハイハイ自由に。しかし

      • 南米編…その後

        で、ペラーノと結婚し子供も出来てその後どうなったかというと 子供は超かわいい!彼もラテンらしく、子供には愛情があった。 当時はトヨタ夜勤工場で働いてたし。でも相変わらずケチだった。 長年不法で送金が全てという生活感覚が染みついていた。 生活費は何も贅沢せずとも、家賃8万なら、15万は最低かかる訳だけど、不法で税金払わずに保険無しで生きてきた彼にはそれが、わからない。 何度喧嘩して話し合っても、頭の硬い彼にはわからない。ので、レシート添付して毎月これだけ、かかっている、という

        • ヤバい男

          ちょいnoteの流れとは違うけど、リアルなしょーもな体験をしたので! 二つばかり、しょーもな出会い系を使ってます。 どちらもポイントが溜まって好き。 始めたきっかけは、デリヘル時代、稼げるから!と、登録してくれたベテラン女性がいたから。 その話は後で。 イ◯ク◯というサイト。ほぼ会う事は稀で、たまたま、めちゃブサ男のスピチューバーとかなプロフの50後半とやり取りを。 たわいもないやり取りで、私はポイント稼ぎになるし、でやり取りを1カ月位?毎日していて。 話を聞けば、千葉

        南米編ペルー滞在

          ミャンマー補足②

          そう…産んでいたら4人というのは。。埼玉で1人中絶手術をした後に、ミャンマー男と同棲。 その一年後位にまた妊娠 さすがに今回は産もうと決意するも…中絶手術出来るギリギリまで悩み、結局ミャンマー男はパスポートも見せず、相変わらず酒乱、DVで…少し大きくなったお腹で中絶をしに行った…。12月だったので、直ぐに年末年始に。 ミャンマー同胞が主催してる年末スキー日帰りツアーに行きたいというので、申し込みを。 バス内で宝くじ的な景品が当たるねをしていて、当たらなかったからと不機嫌に…ス

          ミャンマー補足②

          ミャンマー補足

          ミャンマー補足 もう…ぶっちゃけ買いてしまいます。 私、4人の子供を授かりました… 1人目はキタの人と。ちゃんと出産し、結婚もした。 本当に多動な子で…男の子の子育ては大変でした。周りの助けが無いと無理でしたね。 義母父はありがたかった。本当に可愛がってくれて…。キタ旦那がレスじゃなければ…続いたかな。でもキタ夫、いわば、女性のいいなり。博愛主義。結婚前から続いてたセフレに車貸して、と言われれば持ってく。義母には逆らわない。まぁお陰ですんなり離婚出来たんだけどね。 レスの

          ミャンマー補足

          南米編 補足

          そう言えば、その、エクアドルの子も、同棲したペルー人も、口説く、というか、一緒になるのに、そりゃ必死だったなあ。。 エクアドルの子、家に来るとか言い出して、絶対来るな!とか言ったっけ… ミャンマー人も最後はそうだった。 ミャンマー人、パスポートも見せてくれなかったし、不法滞在だったよね。 エクアドルは自分から不法滞在VISA無しだ、って言ってた。それを聞いて、ちょっと同情したんだよね。 で、同時進行してたペルー人にそれを言ったら、そんなの辞めといた方がいい、とか散々言われて…

          南米編 補足

          南米編続き

          で…相模原市、南橋本のアパートで同棲を始めました。 彼の友人、日系ブラジルのマルセーロと、その嫁、ユンジュ。韓国人の彼女はBARでバーテンの仕事をしていて、マルセーロにナンパされて付き合いだし…当時、VISA切れていたユンジェちゃんは妊娠をキッカケに婚姻。女好きなマルセーロは常に他の女を見るのを辞められず、ユンジェちゃんもキッカケはVISAの為、とはいえ、初めての妊娠、出産をして、頑張ってましたね。ショートヘアの気の強い女子でした。 産まれた子は男の子で、私達には愛が足りない

          南米編

          当時ラテンダンスにハマり、毎週真面目にレッスンに通い、週末はサルサクラブで踊り… を繰り返していた元気な私 体力が有り余ってたのね(性欲も) 今思えば、その体力、精力、性欲、もっと有効に使えばよかった… ラテンダンスにハマる前には、、、 ミャンマー男から逃げ出し、真面目なコンパニオンの仕事に合格し、博物館で働いてました。 いや、ミャンマー男と暮らしてた時もコンパニオンしてたなあ。。 まぁ、逃げ出し、仕事は継続して、ラテンダンス通い、だった。 本当は違うアラビアダンスがした

          ミャンマーその後

          約2年同棲の後に…当時の派遣同僚女子会に、いつ辞めんの?と言われ…車出してあげる、と半ば強引に(有難い事よ)来てくれ、荷物運び出し、実家に…戻りました。 その間、殴られるのは日常茶飯事、ATM行くの面倒だから、と、自分の下着BOXに入れといた三万入った封筒は無くなってる…等々が日常な日々で… 中絶2回…それも全部私のせいって… いちを2回目は産んでみようか、と思ったけど、相変わらずパスポートも見た事無いし、で。。一応子供を持つ大変さは知ってたから… まぁ逃げてきました。 その

          ミャンマーその後

          続いてミャンマー!

          その後…SEXレスで…すっかりデブに成り果てた。。まだ20代のアタシは…まぁ毎日午前中は公園に、昼ご飯後にお昼寝させ、起きたらまた公園へ行き、風呂させご飯させ、寝かす…な日々でした。人はそれを、幸せっていうの??分からん!でしたね、当時、 そう。やっぱそれは旦那との愛の基盤があってこそ、なんだよなぁ。まだ恋もしたい、SEXもしたい!だったわね〜 で、ある日、旧友と大久保に飲みに行ったの。新大久保から大久保か忘れたけど、当時、屋台村ってのがあって、各国の屋台が集まってて、各国

          続いてミャンマー!

          まず最初は〜キタから〜

          とりあえず、最初の結婚は早かった。25歳…何故なら妊娠してたから。 当時の私は母性のカケラも無く、子供を産むつもりも無く、授かるつもりも無く、ただ、妊娠しない!という無根拠な思いでやってた。 で、当時の相手はバイト先で会った、イギリス留学のある、まぁボン?なヤツ。葛飾の豪邸はそりゃーオサレでした。で、実は北朝鮮人と聴き、へー、とプラスに、なんだか、ステキやん、とか思って付き合ってみた。 基本ボンだから趣味はいい!音楽センス、本の趣味と幅広い。お母さんは美容師でお父さんは元画家

          まず最初は〜キタから〜