真面目に生きるのは損なのか、なんて考えたのが損だった。
今までの人生、自分なりではあるが、真面目に、誠実に生きてきたつもり。それが正しいと思い、当たり前だと思いつつ、これはただの自己満足なんだと理解している自分もいる。
人の為に行動することは悪いことではない。むしろ良いことであるのは間違いない。そう自分に言い聞かせつつも、その先に幸せが待っているかと言われると、自信がない自分がいる。
真面目に生きるのは損、なんて聞いたことがある。
例えば、更生したヤンキーが世間から褒められることに対して皮肉る時に使われていた言葉だが、実際にはどうなのか。
なんとなく調べてみた。
すると、そう感じるのは、「他人主体の真面目だから」とのこと。
つまり、その真面目は他人の都合に合わせているだけ。むしろ、自分がないがしろになるから、結果損になるらしい。
なるほど、納得いった。
自分の真面目は、ただ他人に認められたいが為だけのものだったかもしれない。承認欲求を満たすためだけの。
だから、正しいと思いつつ、モヤモヤを抱えることになっているんだと思う。だって、自分をないがしろにしてしまっていたことが多いってことだから。
僕は自分の為じゃなくて、他人の為に真面目なだけ。
これは一種の極論だから、実際には全部が全部損ではないだろうし、そもそも人の為の行動を損得で考えるのもどうかとは思う。でも、一回この思考をしてしまったが故、しんどいものがあるし、悲しいし、なんだか悔しい。
なぜ、そう感じるのか。
結局、自分より真面目じゃないだろうと思っている人たちが自分より幸せに見えた時、それに納得できていないことにも気づいてしまったから。
真面目で誠実なんて思っていた自分が、醜く見える。
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