見出し画像

日本語教師とは?

こんにちは、ユウガです。

今回は自問自答?的な内容です。

若干モヤモヤしてますので、伝染しないようお気をつけください。笑



先日、とある若手起業家さんとお話しました。
なんでも、オンラインでバーチャル日本語スクールを作っているそうで、私達の日本語教師グループと何か連携できないかとお話させていただきました。

※私はむしろリアル(対面)を重視しており、日本語教師が少ない地方でも質の高い日本語教育が受けられるように、日本語教師のグループを作って活動しています。


はじめの自己紹介で、お相手もあれ?って感じたのか、
「もし価値観が合えばでいいんですけど…」
と前置きして話し始めてくださったのですが、
彼の日本語スクールのコンセプト(の一つ)は、
日本語教師の資格がない人も日本語が教えられるようにトレーニングする
だったのです。

コンセプト真逆じゃねぇか!
と思いましたが、そこでシャットアウトしてはいけないので、お話は一通り聞きました。

そして考えたこと…。
日本語教師って、なんなんだろうなぁ…


彼は「資格がないからといって教えたい人が教えられないのはもったいない」と言っていましたが、
そもそも「日本語教師」って資格じゃないし免許でもない。
だから今でも資格がない人も教えていいし、
オンライン上にもそういう人が溢れている。

逆に養成講座を修了したからといって、日本語の教え方がすべて身につくわけではないし、準備が要らなくなるわけではない。
人間性の問題なんかは、資格の有無は関係ないでしょう。

でもそれを【このカリキュラムと教案に沿って教えれば、誰でも日本語を教えることができるよ】とするのは、違うと思う。


実は私はカリキュラムを作るのが苦手。
じゃ、もし、誰かがカリキュラムを作ってくれて、「これの通りにしてごらん」と教案を渡されたら、本当にその通りにできるだろうか。
仮にやってみても、学習者から質問があった時に答えられないと思う。
だって自分で考えてないから。
それは先生と呼べるのかな?

でも、もし素人先生のスキルが上がって、仮にそれがクリアできたら、
カリキュラムづくりが苦手な有資格者(便宜上こう呼びます)と、
カリキュラムしっかりの無資格者と、
学習者が選ぶのはどっちなんだろう?
日本語話せたらいいやって思ってる人にとってはどっちでもいいんじゃない?
じゃあ、有資格者の価値は…?
と、モヤモヤしてきたわけです。。。

その日に私がたどり着いたところは、
・目標設定ができ、
・評価ができる

これは、もしかしたら有資格者の強みなのかなと感じました。
(あ〜、評価も苦手なのでダメダメです。)

ていうかそもそも、有資格者と無資格者を比べること自体問題あると思うんだけど、
実際、線引き難しくないですか??
医者とヤブ医者、美容師とセルフカット、みたいな関係かな?
どっちも国家資格だから守られるべきなんだけど、しっくりくる例があったらまた書いてみようと思います。

さっきも言ったように、「日本語教師」は資格じゃないし、免許もない。
養成講座修了証や検定試験合格証書はあるけど、一般の人から見て難易度がどれほどのものなのかわかりづらい。
だから給料や報酬に反映されにくいし、準備に時間がかかってることをなぜか理解されない。
※話は逸れますが、個人的には国の「公認日本語教師」の資格創設には賛成です。
日本語学校での採用云々ではなく、一般地域社会に日本語教師の専門性を示すために必要だと思っています。

すみません。モヤモヤのまま書いたので、愚痴っぽくなりました。
資格/経験に見合う価格を提示し、
価格に見合う価値を提供すること

これが私の最大ミッションです。
頑張ります!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?