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日本語教師になったきっかけ

こんばんは、ユウガです。
3日目にして早速何から書こうかわからなくなってます。笑

書きたいことがブワーっとあふれてくるって言ったじゃない?
私の場合、車の運転中に思いつくんよ。
で、メモが取れず車降りたら忘れてるという…。
みんなどうしてるのか知りたいなぁ笑
とりあえずマインドマップ書いたから、それを一つ一つつぶしていくか。。。

さて、本題。
私が日本語教師になったきっかけ

大きく分けると3つある。
1つめは、外国に住んでみたかったこと。
2つめは、ことばに興味があったこと。
3つめは、就活に苦戦したこと。
今でこそ、日本語を学ぶ人の役に立ちたい!と思ってるけど、きっかけは完全に自己中な理由でした。


①外国に住んでみたかった

外国への興味は小さい頃からあった。
小学4年生くらいのときに青年海外協力隊OB(その人はサッカーのコーチとしてヨーロッパのどこかに派遣されていた)の話を聞いて、漠然と、私も将来協力隊になって外国に住みたいと思った。

たしかテレビでも「世界がもし100人の村だったら」をやっていた頃で、途上国の子どもたちの暮らしを見ることが多かった。
母はそういうのを見ると「日本に生まれてよかったね」と言うんだけど、私はむしろ、実際に見に行ってみたい、とか、現地の生活を体験してみたい!と思って見ていたと思う。

うちの家族は海外にはまったく興味がなくて、海外旅行どころか国内旅行もほとんど行ったことがないんだけど、ある時ホームステイを受け入れたことがある。

市の交流事業で、中国の中学生が2人うちに泊まりに来た。
3泊くらいのホームステイで、浴衣を着て花火をしたり、お風呂の入り方を教えたり、なぜか中華料理を食べに行ったり。
思えばこれが異文化交流初体験。

中学3年生のときは逆に、私が中国へのホームステイに参加した。
来た人とは違うホストファミリーだったけど、朝からお粥レストランに行ったり、陶芸に連れて行ってくれたり、お母さんが園長をしている幼稚園に見学に行ったりした。
中国語は全然わからなかったから、英語でコミュニケーションをとって、通じたのがめちゃくちゃ嬉しかった。
帰国後は英語の先生に手伝ってもらって、お礼のメールを書いたりもした。

まだ、どこに行きたいかは想像できないけれど、また海外に行ってみたいと思うようになったきっかけ。


②ことばに興味があった

うちは両親の出身県が違うから、父方と母方で祖父母の話す言葉が少し違う。
小さい頃からそれが結構おもしろくて、夏休みの自由研究にしたこともあった。
テレビドラマの舞台になったりすると「この俳優さんは上手や/下手や」と盛り上がり、方言指導のスタッフとして映画やドラマに関われないかな〜と思ったりしていた。

中学での得意科目は英語で、国語は現代文より古文や漢文のほうが好き。
法則に沿って書き下したり、訳したりするのが好きだった。

高校では、英語特化クラスには入れず、授業でも膨大な単語や構文とかが覚えられなくなってきて、成績も伸び悩んだ。
国際問題に興味があったから外国語大学に行きたかったんだけど、英語の点数はなかなか伸びなくて…。
結局、地元の大学の経済学部に入学した。

そこは経済学部なのに国際社会文化コースがあって、欧米や東アジアの文化や政治システム、異文化コミュニケーションや文化人類学などの授業があった。
(もちろん経済学の科目も必須。)

第2外国語は、またいつかホストファミリーに会う機会があったらいいなと思って中国語を選んだ。
だんだん苦手意識が強くなっていた英語と引き換えに、新しく習う言語は伸びるしかない!笑
文法は活用がないから英語より単純だし、発音は発音記号ピンイン通りに読めばいい。単語はなにより漢字で覚えやすい。
発音で苦戦する同級生もいたけど、今思えばそんなに…。
英語ができなくても他の言語もあると気づいたできごと(?)です。

大学時代のサークルには台湾からの交換留学生がいて、ときどき日本語の試験勉強をしていた。
初めて覗かせてもらったときに見た問題には、「恐縮の極みでございます。」とか「若気の至り」w
こんな言葉使ったことないわ!wと思いつつ、留学生は選択肢を間違えてる。
私は答えはわかるけど説明のしようがない。
そういえばこの留学生はどうやって日本語を勉強してるんだろう?
…っと思って大学の図書館で日本語学の本を借りて読んでみた。

そこには、テンスとかアスペクトとか見慣れない言葉があって、単純に興味深かった。
今まで「時制」という言葉は知ってたけど、それも細分化できるんだ!という新しい発見。
ちょうどその頃、新しく来た先生が言語学概論という授業を開講して、もちろん受講。

日本語を初めて外国語として捉えた瞬間でした。


③就活に苦戦した

そんなこんなであっという間に3年生になって就活が始まった。(私の時代は10月から解禁)
どんな仕事がしたいかは決まってなかったけれど、企業説明会は知らなかった世界を知れて楽しかったし、まぁそのうちピンとくる企業が見つかって、そこに就職するんだろうと思っていた。

東京や大阪の企業説明会にも行ったし、面接も受けた。
4年生の5月頃、内定がもらえる人が増えても私はまだ。
たくさん受けるうちに業界にもブレが出てきて、志望動機が定まらない悪循環。
やっぱり海外とつながる仕事がしたいし、でも英語力低いし…。自暴自棄になって、内定もらってもそこ蹴って海外にワーホリに行こう!とか考え始めてた。

夏休みになって、就活する人が一気に減った(=ほとんどの人に内定が出ている)頃、日本語教師養成講座の説明会広告が目に入った。
その前にも日本語教師について調べたことはあったけど、給料が低い、食べていけないとかマイナスイメージのことばかり書いてあって、やめようと思っていた。
でもこのときはすぐ説明会に申し込んだ。

説明会といっても、担当者が1対1で説明してくれるものだったけど、話を聞くうちに、自分がやりたいのはこれだ!とピンと来た
それまでも「志望動機を書くときは、その会社で働いている自分をイメージして」と言われて全くイメージできなかったんだけど、日本語教師としての自分ははっきりイメージできた。

・外国人に日本語を教えられる技術があれば、英語が苦手でも外国に住むことができる。
・夢だった青年海外協力隊に応募できる。(これについてはまた別の機会に)
・その前に練習として台湾に住もう。親日だし、友達もいるし。
・中3のときに中国に行って、大学で中国語を勉強して、台湾の留学生と出会って、言語学に興味を持って、、、これまでの人生が、まさしく全部つながった!

その場で即契約…とまではいかなかったけれど、帰宅後すぐに親に相談し、その日をもって就活も辞めました。


以上が、私が日本語教師になったきっかけです。
よく聞かれることだけど、話せば長くなるんだよなー。短くしたほうがいいのかな?

最後まで読んでくれてありがとうございました🥰

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