男性というより社会が苦手だった

「さよならミニスカート」という作品を読んで、「男性は皆うっすらと女性に好意を持っていて、女性は皆うっすらと男性を嫌っている」という誰かの呟きを思い出した。
 
 本作は集英社出版の「りぼん」にて連載されている。主人公の神山仁那は、かつて人気アイドルグループ”PURE CLUB”のセンター雨宮花恋として活躍していたが、握手会で刃物を持ったファンに斬りつけられたことをきっかけに引退、現在は髪を短く切り、その高校内では唯一スラックスを履いて正体を隠して高校に通っている。物語はそんな神山仁那と、柔道部の男子、堀内光との恋模様を描きつつ、路上や電車内での痴漢、女性専用車両、教師による女子児童へのセクハラといった問題に対する女子と男子の認識の違いを如実に描き、女性が受けた性被害を男性が軽視する風潮や、男性に迎合するために女性があえて「バカ」なフリをするといった慣習など、女性らしさが強要される社会への問題提起もなされている。

「このまんがに、無関心な女子はいても、無関係な女子はいない。」

 という連載開始時のキャッチコピーは印象的である。

【さよならミニスカート特設サイトURL】
http://ribon.shueisha.co.jp/sayonara_miniskirt/

 
 私は幼い頃からずっと、なんとなく男性が嫌いだった。それは祖父や父が家族に暴力を振るう姿を目の当たりにしてきたからだと思っていた。しかし、この漫画を読んで、それだけが理由ではないと気付かされた。

 男尊女卑の風潮は現在も残っている。

 男女平等普通選挙が行われ、女性の社会進出が推し進められ、結婚が両性の合意のみによって行われるものと憲法に規定されたとしても、女性を男性より下に見て過小評価するような風潮は消えてはいないのだ。
 鬼滅の刃の作者が女性であったことがTwitterのトレンドに上がったり、女子受験者の入試の点数が不正に低く操作されていた事件などは記憶に新しい。また、作中にもあったが、女性専用車両に乗る女性に対して「ブスに限って被害者面する」といった発言や「短いスカートを履いていたら狙われても当然」「俺も太もも触りてえ」といったセカンドレイプと認められるような発言を平気でするような人が未だに存在するのも事実である。さらに、日本の判例において、被害者が抵抗しなかったこと理由に強制性行が認められない場合が多い。

 そんな風潮が消えない、それを認める社会において女性が男性と対峙した時、両者は対等なただの人になれるだろうか。その人らしさより女性らしさ、男性らしさが要求される社会では、どこまでいっても人と人ではなく女と男である。女でも男ない性は規範から外れたものとして、もしくはなかったものとして扱われる。
 
 父に真っ向から意見すると「女、子どもが俺に逆らうな」と怒鳴られた。
 学生時代スラックスを履いていた友人は、見知らぬ男性に「女の子なんだからスカート履きなよ」と頻繁に絡まれていた。
 サークル内で男の先輩からのセクハラに抗議した友人は、「その気にさせた君が悪い」と言われ取り扱ってもらえなかったという。

 女性は男性に搾取されるために生まれてきたんじゃない。

 そんな当たり前のことが言えない社会が、私には苦手だった。男性を前にあえて弱くなる女性を見るのが辛かった。男性さえいなければ、女性は自分らしく生きられるのに。男性が望む女性になどなってたまるか。「なれない」のではなく「ならない」だ。自分らしく自分のために生きたい。だから私は男性と一緒にいたくない。だから私は、男性が嫌いになった。

 「男性は皆うっすらと女性に好意を持っていて、女性は皆うっすらと男性を嫌っている」

 この言葉を生んだ原因は個人ではなく社会にある。真の意味で男女平等を為し得ていない社会が、男女の軋轢を生んでしまっている。こんな社会に女性として生まれた。私は女性であるが故に男性を嫌いになった。

 ここで忘れてはいけないのはこの男女不平等な社会で苦しんでいる男性もいるということだ。ただ、私は女性の立場にしか立てないから、この問題について男性目線の文章を書くことはできないことを、ここまで読んでくださった皆さまに対し申し訳なくも思う。しかし、もし、私が自分の性別に関係なく一人の、ただの人間として語ることができたなら、真の意味で男女平等な社会を実現できたと言えるだろう。

 

 

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