会うことが叶わず旅立った、大切な人。

大切な人との永遠の別れ。

いつ、どこで、誰と、どういう形で起こるか、蓋を開けてみるまでわからないけど、誰しもが一生に一度は経験する、つらい別れ。

なぜこの話題かというと、僕の生い立ち、パーソナリティに深く関わる事だから。

さかのぼる事うん十年、僕の誕生が間近に迫ったある日。家族のもとに、突然の知らせが入る。「Aが事故で亡くなった」。Aが乗ったバイクと、自動車との事故だった。

Aというのは、僕からみると母方の叔父にあたる人で、事故当時はまだ大学生。聞くところによると、訃報を受けた家族のショックはとても大きく、カオス状態だったそうな。

そんな混乱のさなか、僕は生まれた。不幸のどん底を照らす一筋の光のように、あるいはAの生まれ変わりのように、とてもかわいがられたのを覚えている。

そんな環境なので、またAのことをよく聞かされていたこともあり、僕はAのことを、とても身近に感じていた。まるで、ずっと会えない兄か、あるいは僕自身が彼の一部分であるかのように。身近さゆえか、僕は彼のことを、子供同士でつけるような、ちゃん付けのあだ名で呼んでいる。

ただ身近なだけではなく、どうやら言動もかなり似ていたらしく、Aと同じ事やってるといってからかわれたり、兄弟のように比べられたり、僕の何気ない発言に母が血相を変えて怒ったり(彼と同じ年頃に同じことを言ってて、オーバーラップしたらしい)、いろいろあった。

人の死というものを、本当の意味で理解できるようになってくると、大きな喪失感が襲うようになってくる。いつもどこか心に大きな穴が空いているような気がするし、ときどき、大波が襲ってくるように、猛烈につらく悔しくさみしい、そんな気持ちになって涙が止まらなくなることがある。うん十年経った今でも。

できることなら、会って話がしたかったけれど、それは贅沢というもの。せめて、生きているうちに顔を見せてあげたかった。それが一番の心残り。

彼がもたらしたのは喪失感だけではない。兄のように身近に感じたことからくる、味方がいるんだという安心感や、彼が残したものなど。

僕が小学生だったある時、彼の遺品ではないかと思われるギターが出てきて、僕と母で親子してでたらめに鳴らして遊んでいた。それが原体験になったのか、単なる偶然なのか、のちに僕はギターを始めることになる。

嗜好面にも彼の影響があるのか、それともたまたまなのか、クルマは好きだけどバイクには全く興味がわかない。

時を経て、いつしか僕は、彼の分まで生きて、彼の人生の続きをやろう、とも思うようになっていた。

象徴的な出来事は、数年前。ふと入った、ファストフード店の隣に出店することで有名な某ドーナツ屋さん。そこで、懐かしい曲がかかっていた。久しぶりに聴いた僕は、懐かしさにつられて彼を深く思い出し、いつしか溢れんばかりの涙を流していた。

もう、とっくに乗り越えた、受け入れられたと思ってたのに。とっくに薄れて、数あるストーリーのひとつになったと思っていたのに。ぜんぜんだった。心にあいた大きな穴を、あらためて認識した。

そこで僕は、一人で二人分の人生を全うする、という決意をかためる。それが自分なりの運命の受け入れ方だと思い、止まらない涙を拭って、ふたたび人生の歩みを一歩ずつ、進め始める。何をどうやれば二人分のことができるのか、あるいは、自分は一人分すら満足にできてないんじゃないか、などと悩みながら。

「この命と引き換えになってもいいから、会って話がしたい」という気持ちと、「夢の続きを僕が引き受けるんだ」という想いとが、時折ぶつかる。

いまでも、毎年必ず、なんとしてでも時間を作って、彼の眠る、墓へ参っている。また、僕の誕生日と彼の命日は近いので、その日が近づくと、いまでもいろいろ思い出す。

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