シルバーデモクラシーと対話

新しいことにチャレンジすることは応援している。応援の仕方や考え方について最近振り返った件。(もちろん、結論も出てないし、まとまってもない駄文シリーズ)

ココ数年よく聞く「シルバーデモクラシー」。なんとなく、違和感があって、その言葉に対してではなくて、使い方に違和感があったんだなーって思った。

こんなことを書きはじめると、お前はどっち派だ?とか言われそうだけど、そういうのではなく、僕なりの最近の社会の捉え方の一つなだけで、ちょっと声をだすのは面倒くさそうなキーワードでもあると認識していたりする。

まぁ、書いちゃうのだけど

日本大百科全書(ニッポニカ)によると、「シルバー・デモクラシー(シルバー民主主義)」は、”有権者全体のなかで高い割合を占める高齢者向けの施策が優先される政治のこと”とある。

新聞記事で検索してみると、古いものだと2008年6月1日の日本経済新聞 風見鶏というコラムの中で『シルバー民主主義の重み』という題の中で、日本が高齢社会となったことを踏まえて”日本の政治は、高齢者の意見が反映されやすい「シルバー民主主義」の様相を一段と強めていくことになるだろう”とある。

まぁ、そうですよね。特に団塊の世代(私の親世代)は日本のボリューム層でもあり、その上の世代も選挙に行くことにより、その世代の問題意識が優先されるというのは、1つの民主主義の形なのだろうなと。

それでいいよね。ってことを言いたいわけではなくて、それは投票率と政策の課題。

それが言いたいのではなくて、

なにか、シルバー民主主義という言葉が「世代間闘争」みたいなニュアンスで使われているように感じる。闘争ね。

シルバー民主主義には徹底して戦わなくてはいけない!みたいな

さぁ、高齢者は徹底して戦う相手だぞ!さぁ、戦おう!って。戦わない奴は味方じゃないって印象を受ける。

まだ一応30代半ば(のつもり)の自分は年齢的には若いというか、間の世代だからかもしれないのだけど、論理性と感情を受けとめながら、理解し合えないものなのかなって。(まぁ、僕も年上のセンパイとのコミュニケーションが得意なわけではないけど、いや苦手か。)

「お前は経験不足で、未熟で、あまちゃんだからなんだよ。」って突っ込まれる感じはする(シャアばりに「坊やだからさ」って言わたい)

世代は違うけど普通に親だし、お世話になったし、いや、実際にボリューム層なので頑張って働いてほしいし、そのために健康でいてほしい。そのモチベーションキープと、今・未来のバランスを論点に話し合いましょうよってアプローチがいいな。

論理的に議論し、向き合うこと、未来志向で新しい価値観を大切にしながら、取るべきリスクと得たいリターンを明確にしながら、合意形成をしていきたいよね。

ここが一番むずかしいのだけど。これは良く親と激論となる。どこを視点に、どんな社会や地域、生活が幸せだろうって具体的なカタチをちゃんとイメージできるようにしていかないとなんだろうな。

最近、武闘派の人がすごい評価されてる印象があって、自分みたいなソフト派は、引いてしまうことがある。

関心がないわけではない、二極論争に持ち込む青臭い感じでもない。

もちろん、無責任な現実味のない未来への展開へは問題意識もある。対応もしていきたい。

小さいながらに組織運営に携わらせていただいてきた経験的には「遠慮はしてはいけない、でも相手に気は遣え」って思ってきたからなー。

そのうち、具体論で落とし込んでみようかと思う。

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