初ストリップを観た、感想

 新宿歌舞伎町で、ストリップを観た。ストリップと言うのは皆様ご存知、踊り子がダンスショーの中でだんだんと脱いでいくのだ。
 最初は着物をしっかり着込んで踊り、それが終わると曲に合わせて手早く帯を解いていく。暗転してもう一度ライトがついたら、裸体が透け、局部さえもチラリと覗く衣装に早変わりしている。しかし、不思議と下品ではない。「ストリップ」というその言葉からはエロを想像しがちであるが、実際そこにあるのは日常の常識を超えた美であった。

 薄い膜のような儚い布を纏った踊り子が、くるくると回る。回転するステージにその身を横たえる。切なげな表情で、背を反らす。指先まで伸ばされた脚をまっすぐ上げる。開く。手を伸ばす。全身をしならせる。
 そうして踊るうちに、少しずつ、残された布が解け落ちていく。
 しなやかな身体の曲線が、いよいよ露わになる。眩いライトの下に惜しげなく曝された無駄のない曲線は、悲しげな曲に合わせてその先を天に伸ばすーーーーー

 踊り子の美を讃える会場は、ほんのりとした一体感に包まれていた。少し心配していた民度の低さは実在せず、ずっと立ち見をしていた私たちを交代で座らせ、休ませてくれるおじさんまで現れた。
 結局私たちは6時間、ほとんどぶっ続けで舞台をみていた。そこに広がる非日常感は、あっという間に、最初に感じた裸体への衝撃を消し去った。

 普段私たちは、常に衣服を纏って生活している。「今日は服を着ないでいいかな」と思う日はなかなかない。どの服を着るか、と迷うことはあっても、服を着るかどうか、で迷うことはない。私たちは、裸体を隠す衣服を当然のものとして生活している。
 一方ストリップにおいては、その常識が薄弱になる。彼女たちの裸体は、衣服を纏うことを当然としていない。最後には肌を露わにすることを、そこにいる全員が暗黙のうちに承知しているのだ。
 しかし、ステージに上がる瞬間の彼女たちは、衣服を身につけている。ステージの上で一度脱いでも、再び異なる衣装を着る。脱ぐために、着ている。裸体は隠さなくてはならないものではない。むしろ、裸体を曝すことを期待されている。しかし、彼女たちは布を身に纏うのだ。最終的にほとんど裸体の状態になっても、たった一枚を、体の上に遊ばせていることすらある。
 彼女たちの纏う衣服は、全て裸体を活かすために存在しているのだ。隠すのではなく、より魅力を持たせるために。

 などと色々なことを考えながら、非常に楽しんで鑑賞した。6時間の立ち見は辛かったが、それを補ってあまりある充足感を得た。先には着物の例を話したが、和装だけでなく洋装もあるし、明るい曲で皆で盛り上がったり、切ない曲で心臓が痛くなったりと、ステージ毎にテイストが違い、飽きずに見続けることができる。
 おそらく初見ではなかなかの刺激を感じると思うが、気になった方はぜひストリップに赴いてほしい。

 とりいそぎ、感想まで。

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