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心の汚濁


ここでの心の汚濁 と言うのは
過去に反応してしまった

嫌悪や憎悪、渇望や執着
という意味で

聖人や善人になりなさい、という話ではありません。




今回の10日間で、教わり
私が改めて理解したことを書いていきます。






自分に悪いところ(心の汚濁)を見つけた時



自分の悪いところに出会ってしまった時は、

自分を責めたり、「自分は嫌な人間なんだ」と思わず
まずはその心の行いを観察してみます。


追い出そうとしたり、否定したり
または肯定して 更に燃料を注ぐこともせず、

まずはその反応をしてる状態に気付きます。



ただ気付き、観察することに徹する。
不思議ですが、それだけでその心は 自ずと召されていきます。




この瞑想をしていると
最初は必ず、過去に反応してしまった記憶が蘇ってきます。



『そう言えば、こないだのアイツに言われた一言ムカついたな〜』
などと過去を思い出し、
沸々と苛立ちが湧いてきます。


そして
『あの時は何も言い返せなかったけど、今度会った時は絶対に言い返してやる!』
などと 今度は未来について考えだし、


心は復讐の気持ちでいっぱいになります。




 しかし、この心の行いは
古くから自分が育ててきた「心の癖」で

実際に 現実に起きている出来事と
それに対しての自分の反応 は
全く別のものなのです。



嫌な自分にあった時、
決してその自分を責めたりせず
その状態を数分間観察してみます。

そしてその現実を受け入れる。
気付くだけで人は変われるのです。








自分に良いところを見つけた時


もしも自分に良いところを見つけたのなら、
それが出て行かないようにし、更に育みます。



決して自己陶酔をくすぶらせたり、
優越感に浸ることのないようにします。

その感情は 更なる 渇望・執着を生み出します。




優越感、優越感、


優越感に浸るのはとても気持ちが良いのです。
誰かと比べて 自分が優っていると知ると安心し、
誰かと比べて 悔しい!とモチベーションの燃料にします。
そして、その感覚に依存していきます。
甘い砂糖菓子の様な存在です。




しかしこのセンターでも教えられるのですが、
他人と自分を比較することは何の意味も持たず、
他人と比較することで、人は必ず不幸になります。
これは近年の科学の研究でも明らかになっています。




ここではその様な 他者比較をしない為にも
おしゃべりは許されていません。




このような心の行いをしてしまいそうになった時、
あるいは、そういう感情が芽生えているのを
感じた時も同様に
ただ黙って観察してみます。
ただ気付き続ける、それだけです。



観察をしていると、その 優越感や 傲慢な気持ちも
いずれ消えてなくなるという現実を知ります。




日本はヨーロッパなどに比べて
SNSに没頭してる人が多かったり、
水商売などが盛んだったりと、
簡単に優越感に浸ってしまいやすい気がします。
物理的に人と人との距離が近いせいもあるかもしれません。




私自身も、気が付けばそのようなものに溺れていて
「なんて傲慢なんだろう」と
思う事もあります。

そしてこのVipassanaセンターに来た時に
その心の汚れと深く向き合うことになります。




1回目、2回目と経て
今回が一番その心の汚濁が
軽かったのを感じて少し嬉しかった。






とは言え、解脱や悟りの道には
まだまだまだほどほど遠く、
その道がある方角が今やっと分かったくらいのレベル。
今の段階では、正直私には無理ではないかと思っています。
でも挑戦し続けたい。



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