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2台デジタルピアノによる演奏会Project『白と黒で』について —「アコースティック第一主義」へのアンチテーゼ—①デジタルピアノの優位性とは?


※本シリーズでいう「デジタルピアノ」とは世間一般でいわれる「電子ピアノ」のことである。カッコつけて言っているのもあるが、現代の社会の用語法になるべく合わせたいのである。たとえば、パソコンのことを「電子演算機」などという人はいない。DX、DXと世では言うではないか!ピアノ界がDX=トランスフォームする必要はないが、デジタルと共存共栄することはアコースティックの奏者であれ逃げてはならないのだ。

なぜ今「2台デジタルピアノ(電子ピアノ)」をやるのか

日本におけるピアノ演奏の歴史を見ると、現在の音楽大学で行われているピアノ教育、また、西洋クラシック音楽の専門教育を受けたピアニストの有り様は、1960年代以降の60年間に日本独特のものへ変容してきたものの、デジタル技術の到来をつうじて、いまだそれを主体的に吸収し、クラシック音楽へと統合し、芸術性の刷新へと至った芸術家は少ない
ピアノ演奏を主体とした公演において、20世紀以降や現代音楽のレパートリーを扱うにせよ、歴史的に正統性がある「コンサートホール」において、「グランドピアノ」での演奏を行うことは通例だ。
私たちの基本的立場として、デジタルピアノは不当に低い評価を受けているのではないかと考えている。これはクラシック音楽を演奏するというシチュエーションにおいても変わらないものである。
楽器はさておき、「電力」と「人力」を比較したときに、私たち音楽家が電力を優先せざるを得ない局面は多いことをふまえ、クラシック音楽・ピアノ音楽において「acoustic」が特権的な地位を占める状況を解体し「acousticならぬもの」との共存共栄を試みることが本公演の大きな目的のひとつである。たとえば、ある演奏会において、電気的音響効果に頼らない=アコースティック楽器だけの演奏会だった「からこそ」最大の効果を生んだのだとすれば、それはいわば「電気的音響効果がなく、制限されているにもかかわらず立派な演奏だった」ことによる感動にすぎないのではないだろうか。

カシオPX-7000、公式ホームページより借用。この画像にも示される通り、通常、デジタルピアノは部屋内での演奏を想定しているが、その射程は野外やコンサートホールへも開けている。

デジタルピアノのここがすごい

下記の観点を検討すると、デジタルピアノがアコースティックピアノの劣化版ではなく、むしろ独自の特性をそなえていることが確認できる。

(1)   クラシック音楽を演奏するための楽器としての適切さ


デジタルピアノの持つ様々な特性を考慮しながら演奏することにより、グランドピアノではなしえない音楽的表現が可能になったり、解釈において忠実性・多様性が増したりする。
つまり、デジタルピアノによるクラシック音楽の演奏は、その特性を積極的に生かすことで模造品や代替品ではなくなり、アコースティック楽器とはまったく異なるパースペクティヴを呈示するのだ。
本公演ではまさに、デジタルピアノがアコースティックにくらべて優位性を持ちうる楽器であるという点を示したいと考えている。

(2)   チューニングとサウンドの一貫性について

現代のデジタルピアノは高い性能と美しい音色をもち、音色の一貫性、周辺環境への耐性において優位性をそなえている。
特にチューニングの問題は深刻である。言うまでもなく、ピアノ以外の楽器で、みずからチューニングをしないで演奏することはあり得ない。しかしピアノではしばしば、チューニングが整っていない楽器で練習をし、時には公開演奏をする。特に2台のピアノを合わせるという局面でピッチの狂いは致命的である。
音楽の魂である「調律」に着目すれば、決して調律の狂うことのない「完璧なピアノ」は、デジタルピアノであると言わなくてはならないだろう。
 
本公演ではデジタルピアノだけでも十分に、大ホール用グランドピアノとは異なる次元の品質でクラシック音楽を魅力的に演奏できることを証明する。
また、デジタル技術による音楽演奏を歓迎しない、形骸化したクラシック音楽演奏会のありように問いを投げかけるものだと期待している。

次回は、私たちがデジタルピアノを使った演奏会をつうじて目指したい・実現したい世界観、そしてプログラミングの工夫についてお届けする。



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