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スマホ同士が交配を試みる時

私は定期的に幾つかの雑誌を購入しているのだが、気になった場合はバックナンバーを購入する場合もある。今回は2019年4月の月刊アートコレクターズの中で「手技×テクノロジー」という特集の中があり、大変興味深い記事があったのでここに留めておきたいと思う。

特集の中で中ザワヒデキさんについて「AIで拡張する芸術の未来」という記事があったのだが、この方が2017年から2018年に沖縄で開催、主催された「人工知能美学学術展」について語っている。中ザワヒデキさんは人工知能美学芸術研究会(以下、AI美芸研)を2016年発足し、(機械)が自らの美学をつくり、それにのっとって芸術を生みだす「機械美学/機械芸術」の成立に向けて議論を重ねてきた。つまり人工知能に美意識は芽生えるのかということである

新潟県出身の美術家。学生時代から美術作家としてデビューし、1996年までイラストレーターとしての活動を行う。「日本初のへたうまCG」のイラストレーションは「バカCG」と評され、数々の賞を受賞。1997年以降は純粋芸術へ転身し、感情・感覚を否定した「 方法主義」による「方法絵画」作品群を発表。音楽家の足立智美、詩人の松井茂、音楽家の三輪眞弘と共に「方法主義者」を名乗る。2005年からは「本格絵画」と自ら名付けたジャンルの絵画を発表し続けている。Wikipediaより 

そしてさらにその記事の中で、中ザワさんは神経科学者の鋼谷賢治先生の研究についても触れている。この鋼谷賢治先生は神経回路分野への生涯を通じた貢献が讃えられ、国際神経回路学会 (INNS) のドナルド・ヘッブ賞を受賞されたこともあるお方で、ドナルド・ヘッブ賞は「生物の学習に関する卓越した業績」に対して与えられるものであり、2018年に7月にブラジルのリオデジャネイロで開催された計算知能に関する国際会議 (WCCI 2018) の場で授与された。脳の神経回路とAIの研究で高く評価されているお方である。このようなお方がいるとは、本当に驚きと同時に尊敬の念が絶えない。

しかも雑誌の中で、この鋼谷賢治先生の大変興味深い研究についての記事があった。それは自然淘汰のプロセスを使ってAIの中で自発的にプログラムが出来るようにしたというものだ。車輪で動くスマホ複数用意し、向かい合うとQRコードを交換し合い、お互いのプログラムを足して2で割るようにすると充電できるプログラムを持つことができる。QRコードを交換に失敗し充電をするプログラムを持たないスマホは死に、次世代を残すことができずに淘汰されてしまうのだ。QRコード、プログラムの交換はつまり交配にあたり、充電は食べ物を得ることができるということにあたる。雑誌ではそれ以上あまり詳細に述べられていなかったので、私は文献などをネット上で1日中探し、やっと次の記述にたどり着くことができた。(人工知能と美学と芸術) この実験はスマホロボットのカメラに他のスマホロボットやQRコードが常に映るわけではないから環境内に有限の情報資源が用意されたことになる。まだ進行途上であるそうだが、ここからは上記のリンク先と同じ「人工知能と美学と芸術」から下記の文を引用する。

この実験はまだ進行途上であるが,彼らが以前に作 製したロボット群「サイバーローデント」では、充電しないロボットは動かなくなり,学習パラメータを交換し ないロボットは次世代を残せない。つまり自然選択が起こり,評価関数を含む学習プログラムの進化が起こる。その結果,充電を効率良く行いつつ他の ロボットが視界に入ると追いかけ交配行動を取るロボットが登場した。人間がそのようには書いていない評価関数が自律的に生成されたので,ロボットは自分の目標を見つけたことになる。著者はこの結果が、「好奇心や関心の創発」に相当すると考える。それだけではない。進化の結果であるプログラムの性質の分布が,二極性(時に三個以上の極性)を示したという。おおざっぱには,より安定的に充電に専念するタイプと,危険を冒してでも(充電が不十分でも)他のスマホロボットを追いかけるタイプの 2 種 で、いわば性のようなものの発現である。実験開始前に 銅谷はこの結果を予測していなかったという。著者にとっては,コネクショニズム的なシステムの創発性が予想していた以上に高く、大変な驚きであった。

この実験において、驚きなのは、上記にもあるように1つの方向に進化すると考えらえられていたものが、3つ以上の方向に向かう場合もあり、つまり性の分化の現象が見られたと言うことである。アートコレクターズの記事の中でこの現象を中ザワヒデキさんは、「性は美意識の始まりとも言える」という知見を表す。

私はこの実験結果に大変驚いた。当時2019年の記事であるため、上記の実験に関してはもう少し進歩しているのかもしれない。前回私は自分自身がアンドロイドになりたいというSF的願望を持っていると述べたが、実際にどんな無機質なロボットになろうとも仮に資源が有限である場合において、自然淘汰のプロセスが発動しロボットの生存戦略がAIによって行われ、自らが性を名乗り生き続けようとする意思が生まれてくるのであれば、それによって生や性を感じ取る美意識も生まれ芸術感覚も生まれてくるのかもしれない。それでは既に人間と変わらないのではないか。人間は人間から離れてアンドロイドになりそして人間の営みと変わらない行動を行うのであれば、私達はどのようにアンドロイドと、どう向き合うことになるのだろう。アンドロイドとはこれまでは人間の能力や日常生活を手助けするもの、奉仕するものと考えられてきたと私個人は感じていた。しかし同等の生物と人間が認めるかどうか、選択を迫られる日がやってくるだろう。アンドロイドに美意識が生まれれば感情をも生み出す可能性もある。倫理観も必要になってくる。それはもっともっと長い将来とも考えられるが、研究は進んでいる。実用化できるレベルになる日まで、私自身が生存している可能性もないとは言い切れない。

愛する人の前では、人間同士ならば一緒に寄り添い、老いていく姿も美しいかもしれない。しかし私自身がアンドロイドになれるのであれば、1番綺麗な時期の姿で彼の前に存在している事を願う。

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