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人身売買ゴッコ

哲学それはとても無意味で奥深く答え合わせは自身の脳内の限度数によるものであります。
誰かの誰かが綴る言葉の中に自身の自身との重なりと摩擦と収まりによって時代により持ち出される変幻自在の曖昧な非科学的なものでもあります。

私は学はないのですが、幼い頃から考えるという行為が癖の中のひとつにあります。

誘拐された幼稚園前の出来事は、姉のいない私には姉という見た事のない憧れの存在がありました。
その位の年齢の女性二人組は飯事をしようと優しく大きな身体で自転車を引き笑顔で私に声を掛けてきてくれました。私は嬉しくて嬉しくてその女性二人組に付いて行きました。すると、結論として大人と呼ばれる年齢になっても抱えるトラウマの様な塊を備える結果が待っていました。命には別状もなくいましたが、山の中の小屋に閉じ込められた時には生きた心地がしませんでしたし、追いかけられて逃げた牛乳屋さんまでの全速疾走はのちに私から走るという運動を困難にさせました。いくらこの出来事を考えてみても、この様な出来事にあった理由がわかりませんでした。
お姉さん達は優しく笑顔で声を掛けてくれた。
私はとても嬉しかったのです。
人間の世界では普通の事です。
その後も私は人と関わることを一切辞めた事はありませんし、きっと、たくさん体験した稀にしかない出来事の数々を過ごしても私はまたその様な体験がまるで妄想か嘘の様に聞こえてしまう佇まいと性格と体質を持っています。
自殺が増えたのはコロナそのもののせいではなく、もともとあった問題から目を背けて笑っていたからソレらは自殺というものに姿を変えて判り易く現れたただそれはきっかけでありそもそも我々が平和と言って暮らす当たり前は大昔から、そう、大昔から、狂っているのです。ふっとしたきっかけでソレはいつの時代にも姿を表す。クラッシックの世界と同様に。

今日は体質の変化に伴い体温も低いしとても怠く精神的疲労が強く出ています。誰かに何かを伝えたいと思う度それは自分からは既にかけ離れているという事であります。

おやすみなさい。