狂人

 この世には目には見えない闇の住人たちがいる…ってのは、「地獄先生ぬ~べ~」の皮切り口上であるが、おれはおもう。この世には目にみえる狂人たちがいる、と。そのなかの一人が弊社、島田である。

 いったい島田のどこが狂人なのか。闇に乗じて若い女を付けねらい、フロックコートのしたの赤裸を開陳することに無窮のよろこびをかんじるのか。もしくは、自宅に設えた地下室で、乾燥トカゲ、かえるの臓腑、マジックマッシュルーム、タクラマカンの砂、脱脂粉乳、ウユニ塩湖に降る雨の最初の一粒、ありんこの涙などを釜にいれ、さらに小型猫と小型猫を配合ののち、よりいっそう小型の猫をキマイラする、なんていうマッドサイエンティストなのか。そうではない。そうではないんだ。島田は。島田を誤解するな! おこるぞ!

 では、どういった属性の狂人なの? というと、もうマジできちがいじみているとしかいえない。なぜなら、バナナの皮をそのままゴミ箱にいれるのである。

 会社のゴミ箱は間口のぽっかりあいたタイプで、たぶん業務用の九十リッターとかのデカイ袋がはいっているゴミ箱である。島田はそこにバナナの皮をそのままダストシュートする。すると、バナナの香りがゴミ箱の間口からただよってくるのである。

 たいてい、バナナの皮を廃棄するときは、まわりへの臭気の影響を斟酌し、袋に密封してから廃棄する。それが大人の想像力であり、いわば明文化されていないマナーというやつである。

 そういうと、「言われなきゃわかんない」という反駁がでてくる。まぁ、今般はそういうひとが兎角おおい。まじめに斟酌できる、マナーを遵守できる、ひとのいやがることをまず己に置き換え「こうされたらいやだな」ということを避けるようにしている、そんなにんげんが生き難い、ちょっと死のうかな、なんておもう世のなかであるよね。

 とにかく、他人の視点をもてない、というのは猿以下である。幼児教育からやりなおせよ。くそが。ファックオフ。と瞋恚の焔を瞳にたずさえ、業腹業腹。なんてぐあいにおれはおこっているんだよ。

 だから「おまえ、それ狂ってるよ」といった。「は?」「だからそれは狂ってるって」「なにが?」「バナナだよ」「なんでバナナが狂ってるんだよ」「バナナは狂ってねぇよ。バナナに罪ねぇよ」「じゃあなんなんだよ」「皮そのまま捨てんじゃねぇよ」「なんでだよ」「においだよ。バナナ臭がたちこめるんだよ。猖獗を極めるんだよ」「じゃあバナナどうすりゃいいんだよ」「なんでそこまで言わなきゃわかんねぇんだよ」「食うな、つうのかよ。おれにも人権あるよ」「食うな、つってねぇよ。袋に入れろよ」「もってねぇもん」「用意しろよ」「じゃあくれよ。袋くれよ」

 なにがここまで島田を狂わせるのか。なにがここまで島田を駆り立てるのか。バナナなのか? バナナにおける構成物質が、ヒトの遺伝子に眠る猿の本能を引き起こすのか? そんなことはないはずだ。おれだってバナナを食うが、廃棄には袋に密閉し、ゴミ箱に廃棄する。

 だから、淵源的に、島田の精神が狂っているのである。でなければ島田のようにバナナの皮をゴミ箱にそのまま廃棄するなどはしないはずである。

 おれは思案を投げ首した。どうすれば島田の狂いは治癒できるのか。しかし、おれはおもう。この狂いとは、いわば精神的な宿痾ではないのかと。もう二度と島田はこの狂いから立ち直れないだろう。もし、立ち直れるとすればより強力な病、すなわち恋慕のようなものならば、平癒できるかもしれない。

 情欲する女性に「そんなオイタしたら駄目よ、ぜったい」なんていわれたら、島田はやにわにバナナを袋に密封し、ゴミ箱にシュートするだろう。つまりだから、やっぱ恋ってすごいね、とおもい、バナナの皮の廃棄もんだいを解決するには、島田が恋するような傾城の美女におれがなるしかない、と決意をした梅雨前線ののびた一日であった。

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