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※あくまで妄想です #03-① 旅から学んだこと


先日、1泊2日でひとり旅をしに長野県松本市に行ってきた。


刺すような日差しが降る快晴の日に、電車を乗り継ぎ早朝6時、バスターミナルに行き、高速バスに乗り込む。


ひとり旅に行くのは久しぶりで、かなりウキウキだ。


ひとり旅は楽しい。ゆったりひとりで歩きながら、思う存分「気の向くまま」を楽しめる。

自分でインターネットで調べて出てきた場所に行き、行くことでしか触れられない空気や人たちに触れることができる。

思い通りの体験ができるかもしれないし、予想外の体験をするかもしれない。

もしかしたら、抱いていたイメージがガラリと変わるかもしれない。


車窓の景色がどんどん青々しい緑に変わるにつれて、松本への思いは膨らむばかりで、前向きな気持ちばかりが溢れた。



少し前の私にとっては「旅に出たい」という衝動は、「逃げたい」とほぼ同意義で、割かし結構マイナスなモチベーションだった。

こんな筈じゃないっていつも思ってて、かといって今いる場所で抗う勇気もなく、でも苦しさを自分でどうにかはできない(しない)。代わりにその場から逃げるように旅をすることを選んだ。
当時の自分は後ろめたさや、お金ないのに何やってんだろうという気持ちがあったりして、清々しさはあまりない感じだった。

結果実際に旅に出て、逃げられた試しはないし、自分が動かない限り

現実問題は全く変わらない。


なんだか暗い話だけれど、この事実にたどり着いたことは、あの時はしんどかったけど、今となっては私の中でかなり大きな収穫だ。


「あそこに行けば何かが、誰かが自分を変えてくれる」なんてことは一つもない。


でも実際に行きたい場所に行って、「自分の世の中に対する見方」は変わった。


仕事でもなんでもそうだけど、ひとり旅は自己責任が顕著に現れる。

ひとり旅をすれば、物を忘れても、道を間違えても、目当ての場所が思ったより大したことなくても全て自己責任になる。


何かに、誰かに自分を変えてもらうんじゃなくて、自分で変わるしか道がないことを、旅に出ることで身を以て知った。


その上で私は「最善を尽くす」という言葉が好きになった。

自分が今持っている裁量でしか人は勝負はできないから、完璧ではなく、その時に思いついた限りの最善を尽くすというのを自分の芯に置いて生活をしている。


もっといい案があったかもしれない、と嘆く日の方が断然多いけど、

きっと私がいつしか悩んでもやもやを抱えながら選んだ決断も、その時にとっては

最善だったと、最近は少しずつ思えるようになった。



あの時会社から自分の部屋から逃げるように飛び出したのも、

全ては今につながっていて、あの時にできる唯一の「最善」だったんだなと今は心から思える。



今回は、そういったちょっと柔軟な考えができるようになってからの初めてのひとり旅だ。


こんなにものすごーく穏やかな気持ちでバスに乗るのも、もはや初めてかもしれない。



この旅の選択も、いつの日か自分の物の見方の一つにつながれば

嬉しいなと思う。




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