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ゲイの緊縛ショーと腐女子の関係性

私は『変態のフィールドワーク』と称して様々な性癖のコミュニティーに顔を出している。
が、ゲイの世界に関しては手を出していなかった。なぜなら自分の性別上、どうやっても当事者になれないからだ。
ていうかそもそもゲイは性的指向であって変態性癖ではないし…。

ゆえにゲイの世界は女性の私が踏み入れてはいけない聖域のようなイメージで、彼らに迷惑をかけないよう意図的に近寄らないようにしていた。

だがある時、私の縄の師匠、まる先生にこんなお誘いを頂いた。

『今度ゲイ向けの緊縛ショーをやるから、ひよわちゃんも見に来ない?』

まる先生はゲイ(または女装子ちゃん)向けの緊縛をやっていて、時折こうしてショーを開いている。
なので縄を勉強中の私にもこうして声をかけて下さったのだ。

それであれば“縄の勉強”という事で見学させてもらおう。そう思い、ショーを見に行く事にした。

◆ ◆ ◆

今回のショーは昼の部と夜の部の2部制のものだった。

夜の部は男性オンリー。だが、昼の部に関しては女性が来ても良い仕様になっている。私も昼の部の公演にお邪魔させてもらった。

観客は十数名程度。
夜の部がある事が要因か、客は男性少なめ。
女性7割程度の比率だ。

来ている客の会話を盗み聞きする。彼女らはBL好きの人間、いわゆる“腐女子”と呼ばれるような人種だった。

腐女子…。
いや、別に彼女たちが腐女子である事自体は別にいいんだ。

ただ、ゲイは腐女子の存在をあまり好まないと聞く。つまるとろこ『BLだのなんだの、女の勝手なファンタジーを俺たちに重ねて、オモチャにして遊んでるんだろ』と怪訝に思っている…かもしれないのだ。

いや、これは私の悪い癖の不安妄想に過ぎないのだが…。

だが、かつてデリカシーの無い腐女子がゲイバーに乗り込み、カウンターで飲んでいたゲイカップルに『2人はセックスしてるんですか!?』『アナルって気持ちいいんですか!?』と失礼な質問を投げかけて困らせたという事案を聞いた事がある。

今回に至ってはそんな事無いと思うが、ゲイの人たちからして女性客ってどう見えるんだろう…。
迷惑だったりしないだろうか…。

◆ ◆ ◆

ショーが始まるまでの間、ゲイモデルの人たちはステージ横で準備運動をしていた。

腐女子な彼女たちはそんな彼らを見ては、その肉体美について友達とアレコレ話している。

確かに今回のショーに出るゲイの人たちはみな身なりが整っていて綺麗だ。

なんだったかの論文で読んだが、ゲイの人はヘテロ(異性愛)の男性と比べると美意識が高い傾向があるようだ。何故なら彼らは男を“見る”主体であると同時に(同性愛者の)男に“見られる”客体でもあるからだ。

今回のショーモデルのゲイも、腹筋が6つに割れているくらい筋肉質だったり、体格がありながらもプロレスラーのように身の詰まった張りのある体系をしていたり、ボディメイクに熱心な事が伺えた。
髪も短く整えられてて清潔感がある。

身なりに気をつけている人間は異性・同性問わず魅力的だよな。

ショーは写真撮影OKとの事。
私も何枚か写真を撮らせてもらった。

相変わらず先生の縄捌きは美しく、官能的だった。
ゲイとかゲイじゃないとか関係なく、縄を通じた受け手と縛り手のコミュニケーションはドラマチックで胸を打つものがある。

ショーは無声映画のごとく、台詞もなければ解説も無い。だがちょっとした目線の交わしだったり、指の動きだったり。微細な動きからお互いがどんな心境で相手に向き合っているのか伝わって味わい深い。

むしろ下手に喋りが入ると今感じている複雑な情緒が途端にチープなものになってしまう。心の探り合いに言葉は不要なのだ。

…とまぁ、私は縄を習っている身なので縄さばきや所作に目がいってしまう。

一方腐女子の彼女たちはゲイの肉体美に感銘していたようだった。
演目の小休憩中、お互いに撮った写真を見せ合いながら

『縛られて血管が浮き出てるのが良い!』
とか
『広背筋が深くて綺麗!』

とか語って盛り上がっていた。
もちろん、演目の情緒性にも萌えていたようだが、今回の腐女子の客たちはそれ以上にゲイの人体構造に興味があるようだ。

…だが、そうは言っても彼女たちは性的に興奮してる訳でもなさそうだった。

彼女たちにとってゲイは異種の存在であり、今回の緊縛ショーも“理想の彼氏像”としてではなく、“自分の性とは切り離されたもの”として楽しんでいるようだった。例えるならば草木や花の受粉行為だろうか。

別に花粉とかエロいと思わんし。でも草花は美しいと感じるし、生物の営みとして興味深い、見て感動する。…みたいな。

割とこの気持ち、私も共感できるものがある。
私は女児向けアニメや女の子のキッズアイドルが好きなのだが、別にその子たちと性的な行為がしたいとは思っていない。

先の例に挙げた草花と同じだ。
子ども特有のエネルギッシュさ、柔軟な考え、未来に夢を抱き、素直でひたむきに努力する様。それはまるで新芽が太陽に向かってグンと伸びるような生命の輝きを感じられて元気を貰える。

でも、そんなのいちいち長々と言葉にしてられないから『好き』とか『かわいい』とか『尊い』『エロい』という言葉でそれを表現する訳で。

きっと彼女たちもゲイの身体のどこかに『生命の神秘』を感じて萌えているんだろう。

まぁ、これは“見る”主体側の話で、“見られる”方はそれをどう受け取っているのか分からないが…。

結局当事者でない限り、真の意味でゲイの人たちの気持ちを理解することは出来ないだろう。
理解しようとするのもおこがましい行為だ。

でも、だからこそ、人は自分が立ち入る事の出来ない世界に魅力を抱くのかもしれない。

私も腐女子ではないが、彼らの営みは美しいと思った。

宇宙の成り立ちとか、寒空に輝くオーロラとか、地下から湧き出るマグマとか、土の中の栄養を吸い取って成長する植物とか…。

それらの超自然的な営みと同じく、ただそこに存在する自然摂理の1つとして美しいし良いなと思った。

そんな事言うと当事者であるゲイは『のんきに鑑賞しやがって。色々大変なんだよ。』と立腹するかもしれない。
ただそこは流石に他女性観客たちも気遣いはしていて、彼らゲイを過度にキャラクター化して消費する事はなさそうだった。

もちろん、今回のゲイの方はショーモデルの方なので、見られる事に関しては多少寛容であっただろうが。

ありがたいことにショーの後にはショーモデルとの交流の時間が設けられていた。
よ、良かった。女はとっとと帰ってくれ、なんて邪険にされる事は無くて…。
彼らにとって何ら意味を持たないだろう女性という存在にも寛大な心で歩み寄ってくれる。なんて良い人たちなんだ。

私はこの後用事があったので先においとまさせてもらったが、彼らは帰り際も丁寧に挨拶をしてくれて大変ありがたかった。私が思っていた『ゲイは腐女子を嫌う』というのは杞憂に過ぎなかったようだ。