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断捨離シャリシャリ

断捨離が好き。ダンシャリって音も好き。ダンなのにシャリってなによ。

どうも、ヤド・カリコです。

基本、ヤドカリなので引越しのたびに恐ろしいくらいものを捨てる。ていうか一年間にこんなに要らないものを溜め込んだったんかい!といつもつっこむ。そしてこんまりさん直伝の「ありがとう、さようなら」手法で手放す。

私が実家が苦手な理由は、古いものに囲まれているからというのがある。

金曜ロードショーを録画したビデオテープとかあれってどうするんだろうといつも思う。いつか観るからって観るための機械もうないやん(笑)とはいえ、最近は母もさすがに古くて使い物にならないものを手放し始めた。たぶん私が実家に帰るたびに恐ろしいほど物を処分しているのを見ているからか、自分でも捨て始めたようだった。良い心構え(上から目線)。

物には必ず魂が宿ってしまうと思っている。魂までいかなくても気はあると思う。そしてその気について、悪いものが憑いてしまっているとき、それをちゃんと祓わない限りは物と共に存在すると思う。だからなんとなく捨てられず保管していたものを捨てた途端に気持ちも楽になったり、何か気づくのってそういうことなんだと思う。

べつにスピリチュアルな話をしているわけではなく、そういうのってあると思う。

私の前の職場なんて古い建物に、古い機材に、古いトイレに(笑)、長年勤めてる古い考えの人たち。私はたぶん全身でその悪い気を感じてしまっていたんだと思う。タイプライター的なものを見たとき、私が生まれた年くらいの古いバージョンのシステムをいまだに使うことに誇りを持っている人を見たとき、エアコンが壊れたとき古すぎて部品がないと言われたのに買い換えずに古い部品を持ってる業者を探し1か月以上エアコンなしで従業員が死にかけていたのを見たとき、この人たちは馬鹿なのか?と思った。ほら、いまだに出る出るブラックな苦笑い話。

衣替えのタイミングで服を処分する。今年は本当に仕事に同じ服で行き続けていたのでなかなかのダメージ。もう古着に出すのもやめて感謝して捨てることにした。春ごろの休職中に服を捨てまくった結果、この寒さに対応できる長袖がほぼないことに気づき、でも買い物に行くのが面倒くさくて部屋でダウンベストとレッグウォーマーとマフラーを着用する私である。

断捨離の極みがやはり人間関係の断捨離だと思う。なあなあに続いている友人関係と元同僚との関係ほどいらないものはないなと最近思った。友達少ないやつの僻みとか言われるかもだけど、たいして自分と合わない人や、有害でも無害でもない人となぜ友人でいる必要があるのか、私には分からない。

私は年に一度くらいフェイスブックの友達を整理する。じつはFacebookが日本で流行るずいぶん前から使っていたため、やたらに友達は多い。でもどう考えても友達の友達だったり、あ、この人もういいや、って人はサクサク削除していく。削除じゃなくて解除?呼び名が分からん。それに相手からそれをされてるケースもあってホッとする。あ、よかった、もうお互い終わってるのね、と安心する。

箱詰めしながら要らないものをジャカジャカ捨てる。引っ越し屋さんに20枚も段ボールもらったけど多分半分もいらない。マジ何もないな。たまに自分でもどうやって生活してるんだろうと不思議になる。意外とモノってなくてもなんとかなることを海外で学んでしまったんだなとつくづく思う。2ヶ月バックパック一つとかで出張行ってたもんな。

そんなわけで引っ越し準備が大していらない。だから引っ越しを気軽にしちゃうんだろうな。

さて、ヤドは本日も紅葉を見てきました。

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そしてまた12,000歩。最近歩きまくり。寒くなったらできなくなるから今のうちだな。