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関係の作り方。好きは分からない

お付き合いしているBさんと遠距離時差電話、久々の4時間。疲れた。そして相手にも伝えたけども何を話したのかほとんど覚えていないという。そんなもんである。

なぜそういう話になったのか思い出せないのだけど、今後関係性を作っていくうえで考え方を知りたいと言われ、そこから私のひねくれ大魔神思考を永遠と語った。

私はこのnoteを始めた頃に、母と対決して(対決って表現は良くないと友達に言われるが戦に挑む気分だったから)、そして一番の身内と私は何も噛み合っていないことをしっかり現実として見て、そして良い意味の諦めをした。長く知っていて近い存在の人が自分のことを理解してくれるなんてことはないのだと。

その話から始まり、そして自分以外は全員他人、平等に他人。誰かが特別なんてことはない、誰かが特別なら全員特別だ。と。文字にすると超絶面倒くさい野郎である。

とりあえず私の思考に関して他人に干渉されたくないことを伝えた。この辺を掘り下げされてどう答えたのかはっきりと覚えてないのだけど、私の考え方について勝手に考察して正しい間違ってるとかはまず無理で、さらに言うと「考え方似てる」とか言われるのも好きじゃないと。ちなみにその前の会話で3回くらいその発言をしていたBさん、苦笑いである。誰とかではなく考え方似てるってのを言われるたびに違和感があることを伝え、それは私が実際に思っていることとズレがあるからなのだと。

共感を積み重ねていくことは重要じゃないと思う。到底受け入れられない違和感を持ったとき、共感が邪魔してしまうから

我ながらちょっとかっけえセリフだと思ったのでたまたま覚えていた。一生懸命お互いの共通点を見つけることは重要じゃないと思う。共通点のために一緒にいるわけではないのだから。むしろ似ていない部分、違う部分を見たときにお互いどう思うのか、尊重できるのか、そんな感じだと思った。

自称「哲学思考のめんどくさい男」であるBさん、昨日の質問攻めは正直ちょっと面倒くさいと思った。というのも私は結局期待に応えられるような回答はできないから。それも伝えた。

あと、嫌いなものははっきりとあるけど、好きなものはあんまりない、と。これは私とBさんの決定的な違いである点も伝えた。趣味があり、それを何年も続けているって私には感覚的に理解できない。何かに熱中することをどこかに置き忘れてきたような、ここ数年はそんな感じで過ごしている。

最後の方に、関係性は一対一がいいことも話した。私が結構苦手としていて且つ意味が分からないと思うことの一つに、友達の友達を紹介されることがある。いや、私からしたら完全に他人ですから。なんで知らない人に私が愛想をもって対応しなければならないんですか。仕事はお金もらってるので百歩譲ってOKだけど、友達や恋人の友達は勘弁してほしい、と。そもそも人見知りなのだから。

Bさんから確認されたこと:
①人によっては「彼氏の友達に紹介してほしい」「どんな友達がいるのか知りたい」ってことがあるけど、真逆だね
→YES
②理解されたら嬉しいか
→そうでもない。実際にどうとらえられてるかは分からないから
③好きな人から理解してもらえなかったら悲しいか
→多少あるけど、つまるところ他人は理解できないから仕方ない
④恋人といると安心して気を遣わなくていい関係がいいか
→他人は他人だからそういうのはあんまりない

話したことを思い出しながら書いてみたら、なんだか私はすっかり冷めた人間になったのだなぁと思った。もともと人間関係に冷め気味だったけど、ここ数年で本当にドライ&クール、からっからのひえっひえである。

はてはて、Bさんはこの一連の会話どう思ったのか。