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今においての心からの断捨離

最近人との距離の置き方がおかしいため、他人の動向をさして気にしなかったり、自分がかかわってもしんどくない人だけ、実生活しかり、仕事しかり、SNSしかり、noteしかり、かかわる、または様子を確認するようにしていた。気づけば8割くらい断捨離されてきている。やべぇ。

もともととても仲良くしていた人でしばらく関わってなかった人に久々にかかわりを持ってみた。こんな人だったっけ?と思うようなことを平気で言っていて、何かものすごく違和感を感じた。そして、私もそうだけど相手からも距離を取られていたこともあり、やはり我々の間には何か溝ができたんだと思ってしまった。

自己中な私が一方的に感じたのは、あぁ、この人もあの周囲の人たちに染まってしまったのか、と。なんとなく遠巻きに見ていて仲良くしてる周囲の人たちが私の苦手なタイプだったから、もしかしたらと思っていたら本当にそうだったのかも。

もちろんその人にとっては、良い方向へ変わって一皮剥けた感じなのかもしれない。でも、私が好きだった、かかわりたいと思っていたその人の部分が薄まってしまい、別の色に染まっているのを見て、この人とこれからもかかわっていきたいのか分からなくなった。なんなら発言が不快にさえ感じた。靄がかかっていただけなものが、はっきりとしてきている気がする。

と、まあここまでは都合のいい解釈で、要するにその人が自分から離れてしまったことが寂しかったり、ある意味悔しいのだろうと思う。それだけ大切な人だったこともわかる。かといって、久しぶりにかかわってみたその人と今また仲良くしたいかと言われたら、ノーであったのも事実。

もっと言うなら、あ、この人に私はもう必要ない。きっと今の私にも必要ない、というか求めてない。そんな風に感じた。

人は変わるし、自分も変わる。だからその結果ですれ違ってしまったらそれはそれで仕方ない。ただ、また交わる人だっているから、今はいったん距離を取ろうと決めた。

不思議なもので、いったん決めてしまって実行したら、ラクーになるのであるよ。

今と自分。この二つで決めていいのかなと。今は過ぎていくし、自分も変わってくから、それに応じてまた決めればいい。今を無理せず、自分に嘘をつかず、ですかね。